とうとう、「進撃の巨人」が完結した。想っていたよりも劇的ではなく、さりとて矛盾なく終わったことに心から敬意を示したい。
進撃の巨人34巻読了。最初読んで全く理解できず、例によって33巻読んでから再度読み直してようやく結末が理解できました。
— ひでき (@hidekih) 2021年6月11日
後述するように「二千年後の君へ」と最初から結末が決められていたことが最終話で示されるとは言え、ブログ、SNS全盛時代の影響の下で成立した物語であるように私には想える。「日本」との作品のアナロジーは途中から気づかれたのだと、私は想っている。
*1思うに、 @finalvent の日本とパラディ島の比較考察があったので作者は「ヒィズル国」、オニャンコポンを付加したのではないでしょうか?あまり根拠はありませんが、ブログ、ウェブ時代だからこそできた創作なのでは?
— ひでき (@hidekih) 2021年6月11日
まあ、作者の諫山創さん自身がウェブを見ていることは認めておられるようだし・・・。
ネットを見るのが趣味で、自作の評価なども常にチェックしており、ファンからの意見や指摘を参考にすることもある[20]。
諫山創 - Wikipedia
私は、33巻まで読んで本作は「壁」を超え続けていく物語だと受け止めた。
まもなく物語の「終わり」を迎えるこの数巻に至っては、生と死の「壁」すらも超えているように私には見える。いや、もしかすると「巨人」という存在自体が最初から生死の「壁」を示す存在であったのかもしれない。現世で食べられ、死んで亡者となったのが「巨人」だと。生と死の「壁」を超えた存在としての「巨人」、「始祖」が明らかになった。更には歴史の「壁」を超え、はるか昔に超越した能力をもったまま死んだはずの少女が巨人を作り続けてきたのだと示される。さらにさらに、生の世界の象徴であったエレンすらも生死の「壁」を超えすでに現実的な意味では「死者」として生者の世界に君臨しようとしている。
進撃の巨人 33巻 ネタバレあり - HPO機密日誌
残念ながらこの期待は間違っていたようだ。最後は一人の少女の「愛」の解消という形で物語りが終わるとは予測していなかった。逆に言えば、歴史的な対立とはなんなのか、フランシス・フクヤマ的な戦後史にはひとつの「回答」であるのかもしれない。世界平和のために日本が、自分が犠牲になることは厭わないと。「巨人」がいない「人間の歴史」の始まりを示したのだと。
ヨーロッパの500年の歴史において宗教も、科学も、資本主義も、そして、共産主義も人を救えなかった。人々が欲しがるのは安定であるにもかかわらず、技術開発も、経済市場も、経済政策も、そして、社会改革も、逆に社会の不安定さを極大化する方向に運動している。
平成27年2月10日追記 - HPO機密日誌
巨人が全ての人類を抹殺しうる暴力であり、一定以上の人間がつながる全体主義だとすれば、「解消」しなければ人間の歴史は始まらない。人の自由の抹殺というアンチテーゼがあって、初めて歴史の選択という人類の自由が始まる。非常に浅い考察を恥じるしかないが、今の私にはそう思える。