HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

クイーンズ・ギャンビット:女性のもろさ

このブログを書き始めて何度も経験した来たことがある。なぜ人生のこのタイミングでこの作品に出会うのかと。これまでも、運命的な出会いをいくつもの作品に感じてきた。今も「クイーンズ・ギャンビット」を一週間ほど前から見始めたことの符号に戦慄している。

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このドラマは間違いなく傑作だ。この物語の説明はウェブに溢れている。大変な話題、共感を呼んでいることは間違いない。なんとミュージカルになるというニュースまであった。この物語の主人公、エリザベス(ベス)・ハーモンのモデルはボビー・フィッシャーだという説まであった。

(ベスは実在しない)とはいえ、『New York Times』のマクレーンは、ベスは多くの点で世界的に有名なチェス・チャンピオンのボビー・フィッシャー(Bobby Fischer)に非常に似ていると語る。1967年、ボビーが最後のアメリカのタイトルを獲得した年、ベスはこのドラマで米国選手権に勝った。ボビーは14歳で最初にチェス・チャンピオンになり、ベスは同様に16歳でチェス・チャンピオンになる。またボビーは、競技に勝つためにロシア語を独学で取得した。これは、ベスも同じ。ドラマでは、ベスの努力によりモスクワでヴァシリー・ボルゴフを倒している。ボビーはまた、彼の努力がロシアのボリス・スパスキー(Boris Spassky)に対して大きな勝利をもたらしている。

『クイーンズ・ギャンビット』は実話? ベス・ハーモンのモデルといわれる人物について知っておくべきこと|ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)公式

女性蔑視の傾向があったボビー・フィッシャーを女性に変えて「物語る」ところにこのドラマの妙味があるという。「女性の」天才チェスプレーヤーの葛藤にこのドラマの現代的な意義があると。その意味では私がこのエントリーにつけた「女性のもろさ」はこのドラマへの形容として不適切かも知れない。いや、人生における「もろさ」は女性でも、男性でも同じだと言われるだろう。しかし、いまの私はベスが女性であるからこそ共感しているのを自覚する。ベスの抱える様々な闇がなぜこのタイミングで立ち現れるのかと。自分自身が誰であるかの葛藤、依存症的な行動、更には、母親から受けたトラウマ、自分の欲求を我慢せずにいますぐに応えようとする衝動、破滅につながるかもしれないとわかっていてもとってしまう行動などなど。男性目線からだからかもしれないが、女性だからこその「闇」だと見えてしまう。しかし、いまの私にはバレリーナの優雅さと折れてしまいそうな繊細さ、もろさは女性だからこそだと見えてしまう。

一時は、精神安定座、アルコールで破滅しかけたベスが見事に最期の勝利を収める場面は感動的だ。しかし、ベスは実在の人物ではない。女性であっても、男性であっても、親からのトラウマなどにより、衝動的な要求を我慢しきれず、破滅の一歩手前で踏みとどまれないのが人間ではないだろうか?ドラマの中でもベスの幼少のころの母親との関係性が次第に表れてくる。後半に至り、1話1話の冒頭がベスの幼少期の母親の言説であると気づくのに時間がかかった。女性の母親との関係は男性にはわからない危険さがあると言っても許されるのではないだろうか?そうそう、佐野洋子の「シズコさん」との出会いのタイミングも運命的であった。

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様々な作品との出会いで私は自分の人生のピンチを理解することができた。例えば、「シズコさん」を2009年に読んである理解に至り、その後、自分なりに人生のピンチに区切りをつけた。いや、つけたと想っていた。しかし、それは大きな間違いであったことを思い知らされた。女性のもろさを自分が全く理解していなかったことも思い知らされた。私の無理解は、このブログがいまだに残っている存在理由すらも否定しはてた。それもこれもすべては自分のせいだ。ただ、少なくとも「クイーンズ・ギャンビット」を観ていまの自分の現状をほんのすこし理解することができた。それが救いであったと。ベスは実在はしないが・・・。