HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「感染症パニックを防げ :リスクコミュニケーション入門」

久しぶりに本屋に入って手にした。大変興味深く拝読した。誰もが新型コロナウィルスの不安に悩み、いろいろな場面でリスクをどう受け止めるかという課題を抱えている中、広く読まれるべき本だと想う。

冒頭、大変重要な概念が解説されている。

リスク・コミュニケーションは、
リスク・マネージメント
リスク・アセスメント
という3つの概念と一緒に三位一体となって行います。

リスク・アセスメントについては、発熱患者の外来を担当した研修医のカルテルの書き方を例に分かりやすく説明されている。リスクを「除外」するのではなく、症状を単に記述するのではなく、「恐らく肺炎、しかし尿路感染症の可能性も少しはある、肋膜炎の可能性は否定的だが、除外しきてれいない」というように「ウェイトを持たせてリストアップ」するだけでも、先の展開が違ってくると。

当然、無限に診察、検査することはできずアセスメントは必ずしも正解にはならないと。それでも、対応策をとにかく決めなければならない。この辺が岩田先生が現場の臨床の場面を多数経験されている迫力を感じる。いつも、ツイートでもつぶやかれているようにマネジメント、意思決定においては複数の対策を用意し、プランAがだめならプランBと、対応を「ボクサーのように」柔軟に行えることが大事だと。

その上で、メンタルモデル、社会構成主義などの概念を援用し、どのような言葉、どのようなモデルで伝えるべき周囲にリスクを伝えるかを詳述されている。大変、勉強になった。私も日々同僚、部下、あるいはクライアントにリスクを含む事態を伝えなければならない。相手がどのようなモデルを自分の中にもっているか推測しながら、そのモデルにあった「言葉」、「比喩」を探すことの重要さを痛感することがある。

「社会構成主義」とは哲学、社会学でいう社会構築主義、social constructionismの米国医学界的展開での用語なのではないだろうか?宗教社会学の授業で若干学ばせていただいた記憶がある。主観、客観の様々な要素が結びついて社会的な様態や、個人の社会内における思考、行動が生まれると理解している。例えば、宗教のように不合理であるが人を強く動かす動機が内在している。お医者さんはすべて、医学的な合理性に基づいて、診察し、意思決定し、それを患者に伝えるのだと私など素人は想っていたので、この考え方、そして、患者の意見に耳を傾ける大切さを岩田先生が書かれていたことに正直驚きを覚えた。

社会学における社会構築主義
ジークムント・フロイトとエミール・デュルケムの著作を範にして社会構築主義理論を応用した例として、宗教に関する研究がある。この考え方によれば、宗教の基礎には、人生の目的を欲するわれわれの意識がある。従って宗教は、客観的現実の隠された様相をわれわれに見せているのではなく、人間の必要に応じて社会的かつ歴史的な過程を経て構築されたものである。『聖なる天蓋』という著作で、ピーター・L・バーガーは宗教の社会的構築を描いている。

社会構築主義 - Wikipedia

本書、287ページからの岩田先生ご自身が北京でSars-cov-1の対応をされた時の経験がごく簡単にだが書かれている。医学的にはまさにリスク・アセスメント、リスク・マネージメント、リスク・コミュニケーションをフルに活用されたことが緊迫感とともに伝わる。しかし、本書執筆の2014年時点において、SARSが発症した場合の終息について、以下のように書かれていることが重い。

「現在は問題になっていませんが、将来の見通しは立っていません」

それにしても、ダイアモンドプリンセス号の時の行動については確信犯であったのだと改めて「確信」する。各国での臨床体験はもちろん、講演活動、厚労省への専門家アドバイザーのご体験、ブログからツイッター、動画配信まで2014年の時点でこれだけプロフェッショナルな方が、カジュアルにああいう動画を公開するとは想えない。先日も西浦先生について書かれていたように、ここで警鐘を鳴らしておかなければならないという信念の結果の行動であられたのだろう。

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2009年の新型インフルエンザの時には、西浦先生はまだ国の政策に対してほとんどコミットしていなかったと思います。そして、あの時は、西浦先生がされているような数理モデルを活用した感染対策なんてほとんどなかったんです。

当時を思い返すと、厚労省が勝手に描いた「死亡率2%のインフルエンザ」というポンチ絵を根拠に全部計画を立てました。もちろん、この「2」という数字はさしたる根拠もない「シナリオの一つ」に過ぎないのですが、厚労省はともすると、自分の想定した物語をあたかも真実であるかのように振る舞う悪弊が昔からあります。

当時は、現実・データ・ファクト・サイエンスといったものを基に政策を決めることがなく、むしろ観念や手続き、形式が優先されていたわけです(今でも、多分にそうです)。蓋を開けてみたら死亡率2%でもなんでもなかったのですが、そのせいで方向転換も遅くなって現場も大変でした。軽症、あるいはすでに治癒したインフル患者を重症扱いで対応しなければならなかったからです。

そこから考えると今回の新型コロナウイルスの対策では、データやモデルを活用し、それを基にした推論を根拠にして、いわばevidence-based health policy(エビデンスに基づいた医療政策)でいきましょう、という流れができたわけです。これは大きな前進です。

【岩田健太郎医師「感染爆発を押さえた西浦博先生の『本当の貢献』とは」【緊急連載】】 | BEST T!MESコラム