ある方がFacebookで書かれていて想わず見てしまった。
最初はアダム・ドラバーとスカーレット・ヨハンソンの共演ということでどこでライトセーバーが出てくるのか、回し蹴りが炸裂するのかわくわくしながら見てしまった。そのうちにこの映画はリアルな離婚のプロセスを描いた映画だと気づいてしまった。この映画のどこが「コメディドラマ」なのだろう?
『マリッジ・ストーリー』(Marriage Story)は、2019年の米英合作のコメディドラマ映画。監督はノア・バームバック。主演はアダム・ドライヴァーとスカーレット・ヨハンソン。共演はアラン・アルダ、ローラ・ダーン、レイ・リオッタら。
マリッジ・ストーリー - Wikipedia
離婚歴のある私にはついつい自分と重ねてしまわざるを得なかった。離婚歴のない方々にはこれはコメディとして見れるのだろうか?一度は好きになって真剣な決意を持って一緒になった男女が別れていく様のどこがコメディなのだろうか?まして、この映画の大きな比重を占める離婚裁判の場面には絶望しかない。さすがに離婚裁判ではないが、半世紀も生きているので司法が関係する事案も経験せざるを得なかった。この映画の通り、裁判にもなれば経済的利益を受けるのは弁護士だけ。当事者はなにも得ることはない。重く長く続き、後悔ばかりが残るだけ。正直、二人が「二人で話そう」と歩み寄ろうとしながら怒鳴り合うシーンの方がはるかに、納得するものがあった。何回同様の場面を経験したことだろう。
あまりこの映画では描かれないが、結局離婚を受け止めざるを得ないのは子供だけ。普通に無邪気に過ごしているようでも、親を失った子供はどこかで傷ついている。なんでこの世に男と女がいるのか。惹かれ合わざるを得ないのか。この相手と子供をもうけたいと切に思えるのか。なぜどこかで愛が消え、いがみ合ってしまうのか。
いつぞや、id:finalventさんが「伝道の書」には、人に与えられた喜びはセックスだけだと書いてあるとおっしゃっていたように記憶する。それはきっと本当だ。そして、またこの句も本当だ。 わたしは、その心が、わなと網のような女、その手が、かせのような女は、死よりも苦い者であることを見いだした。神を喜ばす者は彼女からのがれる。しかし罪びとは彼女に捕えられる。
「日の下には新しいものはない」 - HPO機密日誌
■追記
このエントリーを書きながら、動画を拝見した。キリスト教の正統な「伝道の書」はアンチテーゼなのだと知った。
クリスチャンの信仰の立場からの伝道の書 / “#21伝道者の書【60分でわかる旧約聖書】” https://t.co/3fWNd6NJ4o
— ひでき (@hidekih) 2020年2月4日