HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

個性というわがまま

先日、ある尊敬もうしあげる方の講演会に参加した。間近でお話を聞けた貴重な機会だった。その方は、身体中に病いを持ち、何度も手術をされていた。そんな身体であっても、若い人達に未来への希望を伝えたくて講演を開催されたのだと私は思った。

しかし、聞いていた若い人たちからの質問に失望した。ふざけた質問がひとつと、もうひとつは「自分の個性を生かして、これからの仕事に臨むにはどうしたらよいですか?」という質問だった。講演者は、「個性という問題ではない。とにかくひとつのことに徹底して取り組むべきだ」とお答えになったと記憶する。確か、「一万時間はひとつのことをやれ」とおっしゃったようにも思うのだが、記憶が定かでない。

自分も坐禅の会に通っていたころに、師匠に「自分の個性を生かして」と質問をした記憶がある。徹底してものごとに取り組もうとしても、なかなか成果につながらない、とてもとても全機現なんて無理!とさけびだしそうだった。いま、ふりかえってみると「個性」という言葉は、「私を認めて!私を褒めて!」という程度のレベルの低い「逃げ」でしかなかったとわかる。

ひとのふりして我が身をとよく言うが、この講演会に参加して改めて自分がいかに不肖の弟子であったかわかった。