HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

GHOST IN THE SHELLにゴーストは入っているか?

ようやく見てきた。この日のために出来る限り情報、感想を遮断してきた。2D吹き替え版ではあったが。いや、正直に言えば吹き替え版でよかったのかもしれない。

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ghostshell.jp

正直、前半あまりに押井版映画へのオマージュ、レスペクトが多すぎこのままで大丈夫かと思った。看板から、犬から、名前から、押井への想いが込められていた。しかし、レスペクトが多ければ多いほど押井の個性こそが語れた「物語」の魂、ゴーストが抜け落ちていっているように感じられてならなかった。

後半になり、次第にテンポも良く、ハリウッドという国際的に売らなければならないがための独自の展開に至って「魂」を感じた。ネタバレになるのだろうか?桃井かおりの登場に至ってはサプライズすら感じた。

攻殻機動隊」の中で、くりかえし語られるキーワードの一つは、集中化による多様性の喪失だ。大量生産により生み出された自分と全く同じ身体を持つ別人格との出会い、たぶんグーグルのごとく単体で十分にネットを覆い尽くしてしまう力をもつネット生命体2501、自分の魂の領域までハックされ妻も娘も過去の記憶も人形使いにより偽造されてしまう清掃局員...「攻殻機動隊」には、個性、多様性を喪失するエピソードが重層的に語られている。これらのエピソードは、いまのままの技術では不可能なこともあるが、2chの匿名問題のように表現された自分が自分であることが証明不可能な現代のネット社会に棲息する私達なら、十分この混乱の深さを実感できるのではないだろうか。

[書評] 攻殻機動隊 Ghost in the Shell : HPO:個人的な意見 ココログ版

結論から言えば、表現のレベルでは押井にレスペクトしているにもかかわらず、押井版とは全く違うハリウッドの語る「攻殻機動隊」、いや、"GHOST IN THE SHELL"として見るべき映画なのだろう。

ハリウッドで語り直されることによって、逆に押井の個性がもつ魂、普遍に通じるゴーストの存在が明らかになったのだと。