HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「一国平和主義の錯覚」の時代と改憲の必要性

樋口恒晴先生の著作をようやく読めた。奥付けのご経歴になんと筑波大学国際関係学類に昭和58年入学とある。国際関係学類が新設され国立大学であるにもかかわらず入試の競争倍率が50倍近かった「あの」伝説的な年だ。

1983年(昭和58年) 国際関係学類設置

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「一国平和主義」の錯覚

「一国平和主義」の錯覚

「平和」という病~一国平和主義・集団的自衛権・憲法解釈の嘘を暴く~

「平和」という病~一国平和主義・集団的自衛権・憲法解釈の嘘を暴く~

私は昭和60年入学で、樋口先生は卒業後筑波の大学院に進まれ、同じくご経歴によれば93年当時まだ在籍されていたとある。ということは、4年間は同じキャンパスにいたということだ。いやはや、栴檀は双葉より芳しとはよくいったもので、優秀な方は若い内から優秀なのだと実感。同じキャンパス、同じ大学にいてもこうも違うのかと。

メモ代わりにツイットしながら本書を読んだ。樋口恒晴先生、お許しください

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結局、昭和30年代から40年代にかけての国を守るというごく基本的な政策が、憲法解釈、それも内閣法制局長官次第で変わり続けてきた歴史が明確に描かれている。そして、残念なことに日本の政治はその状態を40年近く変えられないまま推移していきた。

戦後の占領からようやく抜け出ようとし、自衛隊が組織された頃、林修三氏が長官を務められたと。時の鳩山首相とともに自衛隊創設、整備に力を尽くされた。それが、後の私達からは「タカ派」と見える佐藤栄作首相時代の高辻長官となり解釈が逆転する。

戦後の内閣法制局で間違いなく、「戦後体制」を政府の側から創り上げた人といえる人物になります。
(中略)
つまり日本国憲法国際慣習法で抵触関係にあるかどうかは解釈問題であるということ、その解釈をするのは政府の有権解釈であり、それを掌るのは内閣法制局であり、時の長官である高辻正巳氏になるというわけです。

高辻正巳という人物

この背景には60年安保以降の学生運動の高まり、国民的機運があったからこそこのような自衛隊をめぐる解釈の「ブレ」が容認されたことはよくわかる。

父ですら、六十年安保闘争運動を見ていて「国が覆るかと恐怖心を覚えた」と総括してした。多くは語らなかったが、戦中の日本国民全体の覚悟が戦後正反対に否定され、米国支配下のウォーギルティプログラムなどで、左派が勢いづいた流れはよく体験していた。その流れの中で、「国が覆る、共産国家となる、ソ連、中国と接近する」としか思えなかったらしい。

「六十年安保闘争の時は国が覆るかと思った」 - HPO機密日誌

しかし、解釈によって集団的自衛権、集団的安全保障が大きく変わることになってしまっては、周辺国からの信任は得られないだろう。自衛隊の存在を憲法上できちんと位置づけることが本来必須だ。しかるに、現在の野党の活動は、国を守るとか、過去にどのような憲法解釈が行われ、苦しいながらも自衛隊を整備してきた歴史、議論がすっぽり抜け落ちている気がしてならない。改憲反対というなら、なぜ反対なのか?感情に訴えるのではなく、大所高所からの議論をして欲しいと切に希望する。

そのほか、数次に渡る防衛力整備計画以降の整備計画の問題、野党側の憲法解釈の変遷の問題、安倍首相改憲の正統性など論じたい問題がたくさん本書には描かれている。また改めて論じたい。