HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

血の濃さ、縁の濃さと殺人: RED FAMILY (ネタバレあり)

この映画には、随所に感涙しそうになるシーンがある。

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例えば、永らく韓国に潜入している「野ウサギ」、恐らく将校と、「おばちゃん」とのやりとり。「あんたが私の乳をすった。私のお腹にはあんたの子がいる。私を殺すならこの子を殺しな!あんたの子を殺せるの?」と迫るシーンがある。北朝鮮の威信をかけてスパイのネットワークの全貌を熟知し、いく人の家族を冷血に殺してきたかしれない「野ウサギ」にも女の腹の上でけだもののように果てた結果できた子供は殺せなかった。

あるいは、ツツジ班として家族を装って暮らすスパイ四人が、日々触れる隣の家族。家事もせずサラ金から金を借りて大して着もしない服を買う妻、うだつのあがらなそうな夫、気弱で内弁慶な息子、隣家の男やもめに気を寄せる姑。喧嘩ばかりの隣家に始めは呆れるが、次第に「こういうふつうの暮らし、喧嘩しながらも家族がひとつ屋根の下暮らすことこそが幸せなのだ」と目覚めていく。そもそも、四人ともそれぞれ北朝鮮に残してきた自分の家族のことを思わぬ日はない。家族のために潜入スパイという危険もあり、やりたくもない殺人を重ねざるを得ない。

ここまで読んだ方ならラストをご存知だろうから書かないが、信条を共にしない敵、全くの他人なら殺せても、自分の血縁者、自分と縁の深い者は殺せない。まして、自分達が知らなかったささやかな幸せを教えてくれた友人達は殺せない。西欧の倫理ではない、情の文化である朝鮮人、日本人ならではの結末ではないだろうか?

ここまで書いて、米国の大学で韓国人の友人たちとの交流を思い出した。私は、米国の合理的論理的帰着の人間関係、あるいは中国人のさらっとした友情に居心地の良さを感じていた。しかし、多くの日本人、韓国人はいつも「わかってくれよ」という目を交わし合ってるいるように思えた。自分の感情、自分の弱さを場合によっては酒にまかせて告白することが人と人とのつながりであるように訴える目だった。「RED FAMILY」にもなにか繋がるものがある。