HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「ダイヤモンド・エイジ」と「ファイアーボール」

ようやく読了した今、結論から言えば、「ファイアーボール」とは「ダイヤモンド・エイジ」そのものだと考えている。この事実は荒川航監督の創造性をひとつもおとしめるものではない。

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ダイヤモンド・エイジ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

ダイヤモンド・エイジ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

ダイヤモンド・エイジ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

ダイヤモンド・エイジ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

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「ダイヤモンド・エイジ」には、明確にドロッセルお嬢様の原型が存在する。「本」によって淑女としての教育を完遂した強い女性だ。ゲデヒトニスを想わせる四足歩行のロボットも出てくる。「本」を作った「お父様」想わせる人物も物語の進行に伴い大活躍をする。そもそも、背景として戦乱が存在するにもかかわらず静謐で平和な時間の流れという舞台設定からして「ダイヤモンド・エイジ」そのものだ。自分の意にそぐわない仕事が続いた荒川航監督には、自分の中にこそこの「ファイアーボール」という静謐な空間と時間を作り上げる必要を感じられたのだろう。それは、ある登場人物が陰惨な生活の中でも、「本」によって教育されたように。

ああ、もう少しだけおしゃべりを許してもらえれば多様な知識、造詣の深さも両作品に共通している。そうそう、ドロッセルがなぜカポエラを習っているのかもよくわかる。なぜこんなにドイツ語の語彙がでてくるのかはわからない。あ、そうそう、ドロッセルの目が光るのもなんとなくわかる箇所がある。「チャーミング」、「ユーモラス」とドロッセルが若返っていくのも、「ダイヤモンド」がある女性の旅立ちまでを描いているからかもしれない。行儀作法にこだわるのも、よくわかる。もっともっと話しをしたくなってしまう。

「ファイアーボール」が「ダイヤモンド・エイジ」であるとすれば、舞台は冥王星系ではないかなどと「妄想」したのは間違いであったと認めざるを得ない。これは間違いなく地球の未来でなければならない。4万8千年の未来であっても。

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