id:houjiTさん、id:ss-vtさん、からぶくまでコメントをいただいた。きちんと、お答えすべきだと考える。
LIFE January 10, 1938 - HPO:機密日誌b.hatena.ne.jp5分ほどFAQを調べただけで反証取れたので置いときますね 「虐殺を示す写真」https://goo.gl/wE36FU 「欧米の報道」https://goo.gl/U7e4bB 「報道規制」https://goo.gl/eEDPQ3 「軍人の証言」https://goo.gl/ABXSmW 「Life誌の晒し首」https://goo.g
2017/09/05 22:23
ブックマークいただいた中の、FAQの「欧米での報道」にこうある。
特に南京に滞在していた記者がリアルタイムで発信した「ニューヨーク・タイムズ」と「シカゴ・デイリー・ニューズ」の一連の記事は、完全に正確とはいかなくとも、当時の南京の状況を知るうえで非常に有益な資料となっている。
欧米では事件は大々的に報道されていた - 南京事件FAQ
それら以外にも「ワシントンポスト」1/12、「マンチェスター・ガーディアン・ウィークリー」2/11、「デイリー・メール」12/15、「タイム」(アメリカの週刊誌)2/14、「ライフ」1/10などでも南京の暴行事件は取り上げられている。中国の英語紙やアメリカの中国語紙などでも同様である。
当該のエントリーはまさに「ライフ 1/10」についてだ。
私のエントリーのタイトルは扇情的につけた。実際にはこの「ライフ」に「虐殺」に関する記事はあった。いつか「南京大虐殺」を指摘する方々が「ライフ」へのリンクの先を読んで指摘いただけるのではないかと期待していたが、どなたからもなかった。このエントリーで取り上げた避難する中国人の記事よりは、はるかに後ろの方、65ページの冊子の51ページ。2分1段ほどの記事。試訳してみた。
試訳
国民党首都、南京
正式なニュース沈黙の陰で、近代史上最悪のホロコーストが、12月10日から18日にかけて中国の陥落した首都、南京で起こったことが確実のようだ。専門家のアドバイスに反して、蒋介石総裁はいくつかの最強の部隊を土壇場に立たせるために(南京)市の中に残した。蒋介石は彼の第88模範師団だけでなく、ドイツ人に訓練された旅団と、光州の白崇禧将軍の優秀な南部部隊も含めた。事実上、(この戦略は)できるだけ日本人の命を道連れにした軍隊の自殺行為と言える。(国民党軍の)何人かは城壁が破られた時、下着を脱いで民間人の服を探し回った。しかし、他の軍人達は完全に包囲された都市で一週間余り戦い抜いた。 「筆舌に尽くしがたい混乱」の中で、日本人は暗い路地で逃げたりもの、捕まったりしたものすべてを銃撃した。兵士と疑われた者達は、集団で処刑された。「安全地帯」の1つの建物で400人の男性が縛られ、銃殺されるために行進させられた。調査されなかったいくつかの強姦事件が報告されている。
しかし、2つの驚くべき事実が入ってきた。1)約14万人の中国人兵士が街から離れて戦い、北西に新しい戦線を確立した。 2)南京の日本軍は、おそらくその補給量が減っているため、兵士による組織化された略奪を許可した。
火災が南京のスラムを破壊したという事実にもかかわらず、美しい国民党の政府の建物の大部分と、都市の外にある孫文の墓の大部分は、かなり良い形で生存している模様。
読んでみれば分かるように、「虐殺」とは基本的に軍隊同士の戦闘行為を指している。戦闘において、南京を完全包囲し、蒋介石の戦略において残された国民党軍を制圧したという内容だ。「ホロコースト」とは表現されていても、「南京大虐殺」という市民の虐殺はなかった。ちなみに、この記事の前のページには、別な記事にこう書いてある。
試訳
この(写真の)男のような15万人の南京市民(civilians)は、包囲線の間、「安全地帯」に縮こまっていた。南京に留まった27名余りの白人に非公式にこの安全地帯は組織された。その内の18名はアメリカ人だった。日本軍は概ね、この「安全地帯」を尊重した。
師団クラスがいくつも動いていた大規模戦闘において相当数の死者が出たことは予想に難くない。日本軍が組織だって市民を「虐殺」したかどうかが問われる。記事にあるように、一部で食料が不足して「略奪」があったこと、レイプが発生してしまったことは大変残念なことだ。しかし、それを言うなら東京大空襲や、広島、長崎はどうなるのだろうか?あるいは、戦後の中国、ソ連の日本人難民達への仕打ちはどうなのだろうか?
要約すれば、「虐殺」は確かにあった。しかし、その時点での「ライフ」が伝えているように一般市民の組織だった虐殺はなかった。安全地帯の15万人は守れたのだ。以上が私の見解だ。