HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

沖縄返還に反対した左翼

渋谷でのテロによる殺人の犯人が捕まってから、昔のエントリーが検索されている。昔から疑問でならなかった。

そもそも米国に占領されていた沖縄の返還自体に反対したその左翼系の人々は、いったいどの面をさげていまの基地反対活動ができるのか?

「沖縄返還反対運動」=「沖縄返還運動」 - HPO機密日誌

当時の方の貴重な証言があるらしい。

 仲村さんの証言によれば、沖縄教職員会の活動は、

 祖国復帰を願って日の丸をを掲げていた「祖国復帰運動」がいつのまに、「反戦・平和+安保反対」という、非常にイデオロギーに偏った、実質的には「祖国復帰反対運動」へと変貌していっているのです。

 そして、ついに沖縄返還交渉を行うための佐藤栄作首相の訪米に対して、阻止運動のデモまではじまってしまった・・・現代からすれば、考えられません。

 佐藤内閣は、復帰反対運動を行う沖縄に対して、強行採決してまで復帰を実現する大義名分を完全に失ってしまいました。

 そしてこの裏では、かの喜屋武真栄(きゃん しんえい)氏が、1970年(昭和45年)、参議院国政参加選挙に初当選しています。

 今からすれば信じられない証言ですが、喜屋武氏は、沖縄返還協定に批准しないでくれ、と国会で言ってまわっていた、とも、このインタビューの中で仲村さんは仰っているわけです。

仲村俊子さんの証言 ②仲村さんの本土復帰運動|保守@沖縄

たぶん同世代の方のお話しを聞いてことがある。沖縄返還前は自分は難民であったと語っていらっしゃった。

沖縄返還の5月15日なので話します。沖縄返還の日まで私たちは難民でした。その証明は、パスポートです。私たち沖縄県民のパスポートは難民弁務官が発行していました。日本のパスポートを見ると、『日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。 』と書いてあります。これを読んだときに涙が出ました。なぜなら、私達のパスポートにはそんなことはひとつも書いてなかったからです」

沖縄県民は難民だったのか? - HPO機密日誌

調べて見ると正確には「渡航証明書」であったらしい。証明書とパスポートは別ものだ。自分達の帰属がない、自分達を守るべき国がない人々を、イデオロギーで祖国への復帰の反対運動にしててしまうのだから恐ろしい。その末裔がいまの社民党であり、民進党だと想うと一体どんな主義主張をもって沖縄の活動うんぬんと言えるのか?