HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

沈黙 - Silence -

遠藤周作原作の映画、「沈黙」を見た。 正確には、「沈黙ーサイレンスー」なのだが、「サイレンス」を"Silence"と書きたくなるほど、マーティン・スコセッシ監督作品だった。これは本当に遠藤周作作品なのだろうか?

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映画『沈黙‐サイレンス‐』公式サイト

映画としては、実によくできていた。語り手であるセバスチャンを演じるのは、「アメージング・スパイダーマン」の主役であるピーター・パーカーを演じた若手の注目株、アンドリュー・ガーフィールド。それ以上にはまり役だと納得したのは、セバスチャンとともにイエズス会から日本に派遣されてきたフランシスを演じる、アダム・ドライヴァー。「スター・ウォーズ:フォースの覚醒」でカイロ・レンを怪演していたアダムは、実は熱心なクリスチャンだということ。子供のころは聖歌隊にも入っていたという。愛国心の余り海軍にも所属していたというアダムは、遠いローマから宣教の情熱を持って来日するという役柄が実に似合っている。

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イノウエ様のイッセー尾形、フェレイラ神父のリーアム・ニーソンなど、脇を固める俳優陣もまったく遜色ない。実によくできた映画だ。

弱きもの、圧政と貧困の底の底で人として扱われていない人達が、キリスト教の信仰を得た。それも、江戸時代にというのが改めてなぜなのかと最後まで疑問に想ってしまった。熟達した隠れキリシタン弾圧の代官、「イノウエ様」のように「日本には仏教がある、キリスト教が入ってきてもそれはキリスト教ではない他のなにかに変容してしまっている。いまさらなんでキリスト教を教えにくるのか?」と言いたくなった。私にはやはりキリスト教の信仰はわからない。

それでも、こうした神父たち、イエズス会の活動は決して無駄でなかったことを先日長崎に行ったときに知った。神父もおらず、教会もないまま、二百数十年に渡ってキリスト教への信仰を捨てなかった人々がいたと。これは、キリスト教の宣教の歴史の中でも特筆すべき奇跡ではないだろうか?

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沈黙こそが、宇宙の真理なのかもしれないとは想っている。

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