ようやく、「シン・ゴジラ」二回目。庵野監督が本当に本作を皮肉で作ったのかを見たくて行って来た。
二時間の映画を再び見て、850円のパンフレットまで買って、やはり庵野さんはもう一度人々とこの国を信じたいという希望を込めてこの映画を撮ったのだと暫定的に結論づけている。結局、庵野監督はマキ教授その人であると。冒頭のあのタイミングでマキ教授が姿を消し、そのボートの直下から事態がはじまったことは偶然ではありえない。マキ教授こそが意図を込めて日本にゴジラを贈ったのだ。誤字たっぷりの本ブログだが、これは誤字ではない、「贈った」のだ。いわば、庵野監督が「シン・エヴァ」に至る絶望に満ちた「エヴァンゲリオン」を贈ったように、マキ教授は日本という国と人々に「この私の絶望についてこれるものななら、お前らついてこい」とゴジラを贈ったのだ。そこから、絶望の中の絶望の物語をつむぐこともできた庵野監督が日本の未来に対して希望を見いだそうと意図的に「現実」を構築したのが「シン・ゴジラ」なのだと。
本作のパンフレットの冒頭にひかれた庵野監督の製作にあたってのあいさつ文がある。精神的にブレイクダウンしながらも、本作のオファーを引き受けたと。そこにこそ「シン・ゴジラ」の意図がある。現代日本に充満している絶望と挫折を20年(だっけ?)に渡って「エヴァ」で描き続けた庵野監督だからこそ、「特撮博物館」のような少年の日の幸福感に出口を見いだしたのではないかと。
「特撮博物館」の「巨神兵東京に現る」のノリのまま、作られたのが本作だと私は主張したい。
その他、二回目観ていくつか気づいたことがあった。例えば、石原さとみさんが役柄の割に英語が下手すぎるとウェブ上での意見を散見するが、全くの間違い。日本人を祖母に持つ「だけ」の日系アメリカ人女性が、あれだけ官僚言葉、政治的かけひきの日本語を運用できるわけがない。私はNY生まれのいとこやら、国際的に活躍する友人知人たちがいる。一般的に、海外で育って(あるいは子供を育てて)なにが問題かと言えば日本語の教育だ。母親が日本人で、相当な意思をもって日本語を学習させても、表面的な話し言葉程度。石原さとみさん演じるカヨコ・アン・パターソン女史のような政治的、学術的な話しはかなり難しい。祖母が孫の教育にそれだけ影響は持ち得ない。そもそも、日本の血を引いていることは米国の政治においてマイナスにこそなれ、プラスに働くことはありえない。つまりは、ファーストネームが日本名はありえない。アン・パターソンとだけ名乗り、ごく親しい友人、親族にだけ「カヨコ」という日本語の名前で呼ばせるというのが関の山だ。そもそも、本作における20代、ないし30代前半とおぼしきパターソン女史が、日本語での教育を受けるほどの時間はなかったはずだ。もし日本において大学なりを卒業するほどの教育を受けていれば、米国でのキャリアに遅れを取る。アメリカは日本以上に学歴社会だということは案外日本では知られていない。博士号クラスを政治学、行政管理学等でもっていなければ、若くして米国の政治の中枢には入れない。万一、映画の中のパターソン女史なみに日本語がそれだけ流暢であれば、日本語の会話の流れを十分に汲んで日本語の会話に英語を挟むようなことはしない。嘘だとおもうのなら、モーリー・ロバートソンあたりに聞いてみればいい。
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えっと、それから一番最初の船室においてあった書類封筒と、おりがみと本で、本のタイトルが読めなかったが、これはエンドロールから「春と修羅」だと分かる。
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これらについて人や銀河や修羅や海胆は
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
私は庵野監督=マキ教授のいかなる心象風景が本作につながるのかをわかりはしない。「みんなのおのおののなかのすべて」なのかはわからない。ましてや、「春と修羅」の詩集を冒頭に持ってきた庵野監督の意図を図ることはできない。ただ、ただ、ここに庵野監督の「本作は皮肉ではない、絶望ではない、かといって単なる希望でもない、この私の意思をあなた方はうけとめられはしないだろうが」というメッセージを感じる。
制作者が何を書いても言い訳にしか過ぎず、善意と悪意の前に晒される事態を重々承知の上で、こんな時代のこの国で日本を代表する空想特撮映画を背負って作る、という事を少しでも理解していただけたらという願いから、拙文を寄せています。
という、850円で買ったパンフレットの冒頭の製作発表時の庵野監督の言葉を引用して終わる。8月15日という日本の国難の上の国難の日に本作を子供たちと見れたことは大変有り難いことであったと、庵野監督に感謝する。