HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ゾシマ長老の宗教的感受性

カラマーゾフの兄弟」を読み続けている。ようやく、ゾシマ長老の物語まできた。死に際して、長老が告白しているのは果たして正統なキリスト教であろうか?人類はおろか馬や牛、あるいは草や樹木にまで「何もかもみんなよい、何もかも麗しい」と感じる宗教的感受性はキリスト教のものではない。

カラマゾフの兄弟 完全版

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例えば、「ザ・ウォーカー」という近未来を描いた映画の主人公の信仰はキリスト教的だ。すべてを奪われても、神の加護があればヒーローの活躍ができる。聖書自体がこの映画の大きな鍵になってもいる。

ザ・ウォーカー [DVD]

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私がこうであろうと想像するキリスト教の信仰とは聖書にある百人隊長のそれだ。

「わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」

404 - エラー: 404

なぜキリスト教でないと断言できるかといえば、ゾシマ長老の物語で示された「何もかも麗しい」という宗教体験を私もした。高校生の私は「麗澤とは太陽天に懸りて万物を恵み潤し育つる義なり」と「大学」から取られた額を見て、「すべては恵まれたものだ、すべてはつながっている、すべては大いなるものの意思のもとにある」という宗教的感覚を得た。もちろん、ゾシマ長老のそれとは比べものにならないほど浅いものだ。それでも、キリスト教の伝統に育っていない仏教徒の私が同様の宗教的感受性を持つと言うこと自体が、ゾシマ長老とその兄の体験がキリスト教的ではない証左だ。

ああ、太陽は見返りをまったく期待せずに、空に輝いている。その力でぼくらは生きているんだ。

麗しい澤: HPO:個人的な意見 ココログ版

これを本書の中に多く出てくる「ロシア的」ななにかと結びつけるのは尚早だろうか?

また、タイムリーなエントリーがあがっている。

ま、だからっちゃ、怒られるけど、いいじゃん、日本人で。別に他国の文学や、他国の宗教勉強しなくとも、ここを深掘りするだけで十分だと。