HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

人類全体のバランスシートを考えるとその外部とはなにか?

結局、経済の主体とは個人であれ、法人であれ、地方自治体であれ、国であれ、必ず外部とのやりとりとして存在する。その総目録がバランスシートなわけだ。

詳細はあとに記述するとして人類単位で経済を考えて時の外部とは地球の資源と、太陽による環境と、過去からの生物としての情報の累積が総資産となる。クレジット側で言えば、過去からの情報の累積が自己資本であり、未来への期待が他人資本となる。

つまりはももちさんのおっしゃるとおり純粋贈与がすべてをなりたたせている。

これはすごいことだ。

「麗しい澤」以来の疑問の答え、資本主義でも共産主義でもない経済の在り方への道とはこちらの方角ではないか?

*1

■追記

ものすごく誤解されやすいことを私は書いているらしい。ま、このエントリー自体が思考実験だくらいにとらえてほしいというのはもとからあるのだが。

ああ、タイトルの意味ですね?私の表現が稚拙なのが悪いのですが、あのタイトルは逆説です。すべての経済学は贈与なり、売り買いなどを対象にしているわけですよね?

売り買いをする、贈与する相手方が必ずあるわけですよね?しかし、個人、世帯、地方、国と経済の単位を大きくしていって、地球圏という視点にたったときすべきの経済行為は内部になってしまい、相手が存在しなくなるぢゃないかと。 ... 3

経済というか、私にとっては商行為なのですが、すべての商行為は貸借対照表で表現できます。では、地球圏を貸借対照表で表現するとどうなるのか?というのが私が考えたかったことです。

http://twitter.com/hidekih/statuses/917612483

*1:我ながら、すごいとりあわせ...