HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ポツダム宣言受諾であって日本国の無条件降伏でなかったこと

清瀬氏の主張の力強さに打たれた。

秘録 東京裁判 (中公文庫BIBLIO20世紀)

秘録 東京裁判 (中公文庫BIBLIO20世紀)

ここのところ太平洋戦争前後の日本の歴史についての本を読み続けている。春以来、アジアの国々を訪れてみて、地元の方の日本への敬意に触れたからだ。

たとえば、旅順大連では、満州国時代の文物が大切に保存されていることに打たれた。薄熙来が市長であったときに、開発にはずみがついたと聞く。が、それ以前から地元の方々は、日本人により作られたインフラを営々と利用してきた。このインフラが大連を支えて来たことに、住んでいる人は普通に感謝しているようにみえた。旅順では、乃木大将の漢詩が地元ではいまだに歌われていると聞いた。旅順も三十万人のソ連軍が一時は駐在し、戦後かなりの期間北からの脅威にされされてた。

インドネシアの方々の日本びいきは昨日今日の話しではない。スーパーにいけば、日本語がそのまま書いてある食品がならんでいる。「ぱん屋」と日本語の看板が出ているお店がステータスとして評判なのだそうだ。日本製バイクのシェアが99.5%。日本車は95%だったか。英雄墓地には、イギリス、オランダから再独立するための戦いに協力した、七十柱もの日本人兵士が祭られていると聞いた。

共産国ベトナムの方々ですら、フランスからの独立は日本軍の進駐によって可能になったことを認めていた。結局、ベトナム戦争とは太平洋戦争により独立したベトナムを再度、植民地にしようとしたフランスの侵略であったわけだ。

日露戦争で勝ってしまってから、あまりに多くの間違いを日本人は犯して来た。戦争の賠償を求めての国民のデモ。2.26の将校すら英雄視するかのような国民の動き。「八紘一宇」の精神を取り違え、アジア各国でふるった人種差別。マスコミだけにこれらの罪を負わせることはできない。それでも、まだアジア各国の方々が日本への敬意を持っていてくださるのは、戦後の繁栄だけの問題ではない。歴史に裏打ちされた陰徳がある。太平洋戦争で亡くなられた方々は無駄死にではなかったと私は信じたい。

いや、話しがあっちの方向に行ってしまった。さて、ポツダム宣言。時間もないのでとりあえず引用でお茶をにごしておく。

1978年、文芸評論家の江藤淳本多秋五の間で「無条件降伏論争」が行なわれた(江藤『全文芸時評』『もう一つの戦後史』、『本多秋五全集』第13巻)。論争は文学者間で行われたもので、日本の降伏の本質の捉え方と野間宏ほかに代表される戦後文学をどう評価するかの二点が問題となった。降伏について、江藤はポツダム宣言にある条件を受諾した降伏であるから無条件降伏ではなく、宣言中にある無条件降伏は日本国軍隊についてのみであるから、無条件降伏したのは日本国ではなかったと主張した。本多はカイロ宣言にあった日本国の無条件降伏の思想はポツダム宣言にも通底していたとし、「大括弧でくくられる『無条件降伏』の思想と小括弧でくくられる『有条件降伏』の方式とが同時に存在する」と主張した。論争の後に国際法を専門とする高野雄一は朝日新聞紙上で解説を行ない、ドイツと異なり政府の存続を認められたのが日本の降伏であるとした上で、無条件降伏ではないという点では江藤が正しいとした。ただし、江藤が従属制限の法的条項には論争で全然触れておらず、「日本は明示された諸条件の下に主権を維持しつついわば約束ずくの降伏」をしたとして、占領管理下の日本をもそう理解しているようであるならば、それは誤りだと指摘する。江藤は後の講演で、“その後学術的に高野らに明確に反論した者はなく、ポツダム宣言受諾は条件つき降伏であるとの論が有力である”と語っている。

無条件降伏 - Wikipedia