タイトルはル=グインの「なぜアメリカ人はドラゴンをこわがるのか?」からいただいた。ル=グインは、合理的でありたいアメリカ人にとってファンタジーはわけのわからないものとして排斥されてしまうことを嘆いていた。例えば、「指輪物語」のすばらしさを文学者はまじめにとりあわないと。
ル=グインがこのエッセーを書いてから数十年、「指輪物語」を三部作で映画化した「ロード・オブ・ザ・リング」は史上最高のヒットを記録した。経済合理性の極地にあるディズニー社やオリエンタルリゾート社が運営するのディズニーリゾートに行くと、妖精や、火と水と大地の精霊といった非合理的なおとぎ話が感動を持って演じられている。合理性を求めれば、求めるほど人々は正反対の方向を求める。たとえば、ディズニーシーの「ミスティックリズム」。
精霊達が生きる、ジャングルの奥地
東京ディズニーランド、東京ディズニーシー、東京ディズニーリゾート・オフィシャルウェブサイト
ここは、かつて多くの物資を運んだ水上飛行機の格納庫(ハンガー)。ロストリバーデルタが発見された頃は、われ先にと訪れる人々であふれかえっていた場所です。
今は廃墟となり、再び青々と茂るジャングルと静寂に包まれています。聞こえてくるのは、精霊たちの声…。
経済市場で誰がこんなおとぎ話を信じるだろう?しかし、日本で、いや、世界で一番繁栄しているテーマパークがディズニーリゾートであることは誰も疑わないだろう。
なぜなのか?
人は自分が信念として持っている体系を一旦開いて、新しい概念を身につける。いや、行動習慣、仕事のやり方、技能でも同じだ。まったく同じことをしているだけでは、進歩発展はない。新しい信念や、習慣を身につけるためには人は自分を「開く」必要がある。映画を見るのも、ディズニーリゾートで部族民レベルの神話を体験するのも、原初のリズム(と信じられているもの)を体験して、日常では感じられない感覚を呼び覚まそうとするからではないだろうか?それは、文字通りハレとケ、部族民のイニシエーションと同じだ。
安冨先生の言いたいことは、学者であると誇るなら、自説を変えるという怖さをはねのけ、常に不安定さの中に身を置けということではないだろうか?
- 作者: 安冨歩
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例えば、経済学者にとってべき乗則を受け入れるということは、経済学やファイナンスの分野で確定的にものをいうことを不安にさせる。予測がなりたたない、準備してもそれをすべて押し流すブラックスワンが必ず表れるということなのだから。常に非常に大きなぶれや、リスクを受け入れることになる。かといって、べき乗則からの視点では一般的な経済学的知見に対して論理的なことをなにも言えない。
大きなリスクを自分の研究対象に対して持つということは、大人な態度だ。学説を不安定な立場に置くことだ。そんな不安定さは、研究を行う自分自身を不安定にさせる。従って、べき乗則は経済学、ファイナンスの中心にたつことはない。ただ、自分を「開く」ためには妖精やホビットを一度は受け入れてみることが必要なのではなうだろうか?
■参照
考えてみれば、定期的に似たようなこと考えている。
自分がいかに進歩がないかを自覚するためだけでも、ブログを書き続ける価値があるかもしれない。