HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「小林秀雄の恵み」

後で読む。

小林秀雄の恵み (新潮文庫)

小林秀雄の恵み (新潮文庫)

いまは、どしようもなく眠い。




いまは、翌日の朝5時過ぎ。

本居宣長って、やっぱりいまのオタクの先祖みたいな人だ。源氏物語萌え、万葉集萌えだととらえると、生涯にわたって研究しつづけた原動力が見える。

こういう徹底した「萌え」という美的感覚って妥協しない。いまのオタクたちのわけのわかんないほどのこまいディテールに対するこだわりと同じだ。「萌え」があって徹底した美的感覚があって、現代の日本の品質監理の徹底ぶりにつながっているような気がして成らない。いずれも、生きていければいい、という発想からはあまりに不要なスペックだろうと。

そうそう、ニッチなテレビ番組とか、アニメとか、私の世代だと「オタク」の趣味だと言われたテーマが、あんがいいまの40代、50代の方々と話していて、「いや、実は好きなんだよね」とか「大人買いしちゃって」とか聞く。橋本治だってもう50代だ。いや、もう60代か!

それ以上の年齢の方だって、テーマこそ違え「萌え」している。

んで、そういう「オタク」→「萌え」→「徹底した美的感覚」→「高い品質への要求」と連続しているのが、日本の一番の強みだなと主張しておきたい。で、で、「オタク」は自由がないと「オタク」になれないので、どこかで全体主義的な方向に国が動くのって、最近すごくいやだと感じる。




あえて、調べないで書くが、人から「韓国製の携帯がイスラム圏でなぜうれているか?」という話しを聞いた。なんでも、その携帯にはメッカの方向がワンボタンで出る機能がついているのだそうだ。とにかく韓国の企業は意味なく、人材を海外に出すのだと言う。それは、逆に言えば自国の教育システムを信じていないことの裏返しではある。しかし、そうして飛び散らした人材の一人からメッカボタンを携帯につける発想が生まれたのだと言う。

ガラパゴス」というのは、「萌え」からはじまる結果としての自分の感覚への絶対的な信頼が日本の「内輪受け」しかできない製品をつくってしまっていることなのだと、メッカボタンの話しを聞いて思った。間違いなく、本居宣長、あるいはもっと古代の「萌え」人たちは、内向きであった。いや、内向きだからこそ膨大な不要なスペックへのこだわりと言う美意識が生まれた。この表裏一体が「ガラパゴス化」へ一気通貫している。

そして、目の前の福島原発の事故と、それに対する政治状況の貧弱さにつながっている気がしてならない。