HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

清瀬一郎氏の極東国際軍事裁判管轄権動議

稲田朋美さんの「私は 日本を 守りたい」を読み始めた。冒頭の東京裁判、ならぬ極東国際軍事裁判のくだりで清瀬一郎弁護士をはじめて知った。

私は日本を守りたい

私は日本を守りたい

秘録 東京裁判 (中公文庫BIBLIO20世紀)

秘録 東京裁判 (中公文庫BIBLIO20世紀)

私は相変わらずの無知なので、少し調べてみた。以下、引用ばかりになる。

清瀬一郎弁護士(東条英機被告担当)は裁判冒頭、原告側を代表して「当裁判所の管轄に関する動議」という陳述をした。清瀬弁護人は、世界の文明国が理解している戦争犯罪人の定義とは、①戦闘者の不法行為、②非戦闘者の戦闘行為、③掠奪行為、④スパイ行為 - のおおむね4つであり、ポツダム宣言受諾当時、戦争犯罪という概念の中には、「平和に対する罪」「戦争を計画・準備・実行した罪」といった類の罪は、国際法にも先進国の法律にもなかったと訴え、裁判の管轄権(jurisdiction)を問題にした。裁判所がいくら設置されても、そもそもポツダム宣言の時点で国際法にない戦争犯罪を裁くことなどできるはずもない。スミス弁護人も管轄については速やかにこの場で明らかにできなくてはならず、それができないのであれば、ただちに控訴棄却すべきであると訴えたが、そうした抗弁は一切無視されて裁判は進められた。

東京裁判が茶番劇の理由

確かに、日本が受け入れたポツダム宣言には、「俘虜」うんぬんは書いてあっても「侵略戦争」とは書いていない。

九 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ

吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権尊重ハ確立セラルベシ

http://bit.ly/fJ5fnp

日本が国として無条件降伏したのではないという事実もこれまたはじめて知った。

ここで述べられている「無条件降伏」とは「全日本国軍隊の無条件降伏」であり、それを「日本国政府が宣言する」ことが要求されている。日本国政府の無条件降伏が要求されているわけではない。日本軍に無条件降伏させることを、日本政府に要求しているのである。つまり、支那大陸東南アジアなどで、支那軍とかイギリス軍とか、アメリカ軍を相手に、それぞれの指揮官の下で戦っている日本の軍隊は、おのおのが一々相手側と直接交渉して、ああだこうだといいながら条件を決めて武装解除を受けたり、復員したりするのではなしに、黙って武装解除を受けろ、ということである。

したがって、軍隊は無条件で降伏する、しかし、国家としては有条件で終戦したというのが国際法上の正しい解釈である。

さらにポツダム宣言の第9条には「日本軍は武装を解除された後、各自の家庭に復帰し、平和的な生活を営む機会を与えられる」と、日本軍が完全に武装解除することは、条件として確かに掲げられている。

現在、国際法学者の間では、戦争をして勝っているほうと負けているほうとが降伏についての取り決めをする場合に、お互いに何らかのお約束をしあった場合には、決して無条件降伏なるものはあり得ない、というのが通説である。

ポツダム宣言を読めばわかるが、個々の戦争犯罪人に対して、なにか裁判を行うとか、もしくは処刑をするというようなことを示唆するものは、どこにも発見することができない。

日本はポツダム宣言を受諾したのであり、そこに書かれた条件は連合国側も束縛するものとなっているはずだ、と後の東京裁判清瀬弁護人が主張している。ソ連のシベリア抑留という蛮行は紛れもなくポツダム宣言第9条に違反している。

ポツダム宣言

どこの方かは存じ上げないが、すごい年表とその解説を作られている。すばらしい。

反日・自虐史観を排した歴史年表

まさに戦後の占領政策の悪しき名残と、自虐史観を、21世紀にもなって払拭できないことにいらだちを覚える。普通に国を愛することを言うだけで、右翼扱いされるいまの状態が異常だ。自分で家族どころか、自分自身を養えなことを国のせいにするメンタリティーも異常だ。