HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

三四郎再び、あるいは電子書籍がくれた切なさ

前回読んだときの記憶がないとはどういうことだろう。まるで新しい小説を読むように読んだ。もう高校生のころから何度読んだかわからないはずなのに。

三四郎 (新潮文庫)

三四郎 (新潮文庫)

5年前のブログのエントリーに記録した文庫で読んだ時とまるで印象が違う。

ああ、5年。この5年で私個人にいろいろ変動があったからなのか?私の恋愛体質が進んでしまっただのか?それとも、読み方の差なのか?

iPodを手に入れて以来、青空文庫電子書籍として少しずつ読み続けていた。「三四郎」はすばらしい体験を私に与えてくれた。この年になてこんなにどきどきしながら小説を読むとは思わなかった。100年近く前の物語に共感できるとは思わなかった。

これは、iPodでの電子書籍がどれだけビビッドな読書体験をあたえてくれるかの証左なのかもしれない。文庫本だと流して読んでしまう部分が、電子書籍iPodの画面だと1ページ1ページを丁寧によまざるを得なかった。1ページずつ丁寧に読んで、物語の中に入り込むと、切なさがただただただつのった。

そう、この切なさは、現代日本に確実に引き継がれている。例えば「秒速5センチメートル」。

切なくて、切なくて、切なくて、ただ涙が流れる。三四郎はきっと「ストレイシープ」とつぶやきながら、こんな気持ちだったのかと。