HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

親孝行と結婚の矛盾

人のことはひとつも言えないが、ほんとうに結婚って家と家とが結びつくという感覚がなくなってしまったのだろうね。

  •  (夫側)

もう時期を逸しているけど、前から親孝行と結婚の矛盾について考えてた。

夫婦喧嘩は江戸の花、じゃないけど、夫婦の間のいさかいなんて昔からいくらでもあったのだろう。それでも、どこかで結婚とは家と家の結びつきなのだから、どこかで我慢しなければならないという感覚が底に持っていた。あ、つーか、いろいろいな圧力やら、いろいろな邪魔がはいるからこそ夫婦関係は守り抜かなければらなないという覚悟があったんじゃないかな。

私は特に比較的古い街の、比較的昔風の家庭で育ったから古い道徳にしばられているのかもしれない。私の感覚では、親孝行とは普通に結婚して、普通に子どもを作って、孫の顔を見せることだった。どれだけ自分が親としては未熟であっても、普通に子どもを育てることが、人間として、いきものとしてあたりまえなのだと思っていた。結婚するまでは!

ま、正直、結婚については、あまり人のことは言えない。実際は自分は働くばかりで家のことはなにもしてこなかったし、親孝行も嫁孝行もできていない。ただ、親に孝行をつくそうとするあまり、結婚しないとか、結婚しちゃったけど離婚しちゃったとかいうケースが増えているのは、わかる気がする。親というのは確かに重い存在だ。

結婚した時に、上司に言われた。「いいか、結婚したら、親とパートナーとどっちをとるかという場面が必ず来る。お前のパートナーを守れるのは、お前だけなんだぞ。なにがあっても、パートナーの側につけよ。」20年近く前の言葉だが、そのとおりだと私はいま思える。上司に感謝したいな、つくづく。その場では、親を裏切ることであっても、パートナー側につくのが正しい。親は必死にいろいろなことを言ってくるだろうが、最終的には夫婦関係がうまくいって、子どもが幸せになってくれることを祈っているのだから。そうでなければ親ではない。それに、10年かかるか、20年かかるかわらないが、パートナーも幸せ、親も幸せ、あなた自身も幸せという状態を必ず作り出せる。パートナーと付き合いきる覚悟さえあれば。

お説教臭い話になっちゃったね。それでも、そういうことを言ってくれる人なんていないだろうから、増田さんたちもこんなマイナーブログは読まないだろうけど、ここに書いておく。


■ということで

もちょっと視点を引けば「勤勉文化」のほころびは、結婚からということになるのだろうか?

もはや会社のために人生を犠牲にしても、それが報われる保証はない。つぶしのきかない文脈的技能しかもたないまま労働市場に放り出されたら、たちまちホームレスに転落だ。与えられた仕事に「額に汗して働く」のはもうやめ、主体的に仕事を選んではどうだろうか。起業というのは、多くの人が誤解しているように金もうけではなく、自分の好きな仕事をする生き方なのだ。

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結婚に関しても、組織を優先して家庭を後にするという価値観が問われているともいえる。増田のお二人も、それぞれが、働くこととお互いの関係との間の価値観を問われているともいえる。