HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

官製不況は続くよ、どこまでも

今日は建築関係の方と話をさせていただく機会をいただいた。大変貴重な意見交換をさせていただいたように思う。

意見交換させていただいた中で特に大切な論点は2つ。

一連の建築関係法規の改正で建物が非常に立てにくくなっているために、景気をよくする政策をとってもその即効性や、乗数効果が低くなっていること。まだ、改正に対応した構造計算ソフトの認定は一本もない。適合性判定にかかる案件は、提出に行くと「4か月は考えてください」といわれる。改正に輪をかけて裁量行政が増えている。法律や条令でない通達ですらない「日本建築行政会議*1のガイドが金科玉条のように扱われている。通達ですらない「望ましい」と書かれた地方自治体のガイドが建築基準法をオーバーライドするなど、理解に非常に苦しむ対応がなされている。

宋文洲さんのご意見は貴重だが、現在の法律体系のままでは住宅の面積を大きくしていく政策は本来10年で終わるものが30年くらいかかるだろう。

最後にもう1つ日本が抱えている問題を挙げましょう。日本人がいつになっても豊かさを実感できない分野があります。それは狭い住居です。

 「ウサギ小屋」問題は今もそのまま残っています。「日本は狭いから」とか、「日本人は狭い住居が好きだから」とかの欺瞞はもう聞き飽きました。「国民住居倍増」といった壮大な計画は政府が打ち出すべきです。それに関連する法律や施策も整備すれば日本は必ず活気に満ちた国になります。

IT & 経営 :テクノロジー :日本経済新聞

もう一つの論点は、建築基準法をむやみに変えたがためにまだ建って何年もたっていない建築物を「既存不適格」とし、大幅に価値をさげてしまったこと。なにせ増改築ができないのだ。既存不適格のレッテルを貼られた建物は、増改築部分以外の構造に至るまで適法になるように改修しなければならない。耐震改修促進法や、バリアフリー法などによる建築確認に変わる制度も整備されつつあるが、たいがいの場合、確認取得よりもハードルは高いようだ。

日本の土地資産は1300兆円なのだそうだが、建築物の資産はちょっとみつからなかった。もっとも、建築物を建てて土地の活用による収益は決まるわけで、建築物の収益が小さくなれば土地の価値も小さくなる。

一昨年以前に立てられたすべての建物は完全な意味で適法ではないといっても過言ではない。建築物が適法でなければファンドに組み込めない。適法でないというだけで、建築物資産の価値は2、3割は減ってしまったといってもいいのではないだろうか?新築を抑制することで、一昨年のGDPを押し下げただけではなく、明確には言われていないが1年分のGDPに匹敵するくらい不動産資産の価値をさげたといってもいいかもしれない。そりゃあ、売れるはずであった資産が既存不適格になり、価値をさげているわけだから、不動産、建設会社がぼろぼろつぶれていくわけだわな。

ほんとうに日本のお役人はハイエクを読んでほしい。逆に言えば、法律は人が作ったものなのだから、人が勇気をもって人の自由を作りだすこともできるはずだ。

ハイエク―自由のラディカリズムと現代

ハイエク―自由のラディカリズムと現代

■参照

さすが!

しかし景気の悪化はさらに強まることで、公共事業の評判はどうであれ、多かれ少なかれ公共事業は復活するだろう。それでまた発注者がなにか勘違いする※2 のをあたしは危惧していたりする。公共事業の復活は(あるとしても)短期間でしかない。その短期間に「われわれ」は「解釈は、貸借を満たすために、快速でなければなりません。」を実行しなくてはならなくなるだろう。

モモログ|公共事業悪者論。(森永卓郎)

ただ、行政が建てる建築物でも建築基準法を満たさなければならないので、期待するほどのスピードにはならないのではないかというのが私の危惧。

■追記

現実の仕事のことはここで書かないことを自分のルールにしていたが破ってしまった。後悔している。

しかし、コメントでやりとりをするうちにある違和感を持った。法律の解釈をお役人の方々が決めていることは、果たして適法なのか?コメント欄にもあるように、それぞれの法には期待する結果や、目的が存在する。多くの場合、法律には書かれていないが、少なくともその精神は法律を作った当事者はわかっている。日本では三権分立を破った田中角栄という首相がいたために、法律の多くはお役人が書いている。だから、日本ではいまお役人がそれぞれの法の精神を一番わかっている。残念なことに、分かっているのは自分たちだけなのだから解釈の微妙なところも、自分たちが解釈するのが一番正しいということは理にかなっている。...のか?本当に?

しかし、これは憲法三権分立をうたっている法治国家の姿として正常なのだろうか?「法の支配」の考えで行けば、条文に書いてあることが法律を作った本人の意思とは独立に実態、規制力を持つと解釈するのが正解なのか?そして、その法の精神と反する解釈を作り上げる権限が本当にお役人にあるのか?法治国家とは、法の解釈のブレは判例によって決せられるべきではないのか?その解釈の権限までも中央官庁が最終的な権威を持っているということは、正常な状態なのだろうか?*2

法律で「監視委員会が行なう」と明記されている権限を、政令で首相に変更するのは、法治国家の根幹にかかわる違法行為である。

指定されたページがみつかりませんでした - goo ブログ

レベルは違うが、我々が目のあたりにしている建築基準法をめぐる事態と構造的には同じだといえるのではないか。

■追記

たまたまお会いした某自治体の方から「予算は国から降りてきているのだが、建築関連法規の手続きに時間がかかり全然生かせない。既存の物件を使おうとしても、全体の耐震改修が必要となり、改修もできない。このままではタイミングを完全に逃してしまう。」という話をこの耳で聞いた。あせっているのは、私だけではないらしい。

*1:特定行政庁から委員会方式で出てきてまとめをつくっているらしいのだが、サイトを見ても、発行物を見ても問合せ先、事務局の所在地すら書いていない。この会議の根拠法が存在するなら誰か教えてほしい。
- 会員専用ページについて

*2:ま、いまの判決を決して出そうとしない司法制度に法の解釈の権限を持っていったらそれはそれで大変なことになるのだろうけれども。