HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

法学ではなく法律を整理する法律管理学が必要

抽象的に法律をいじり倒す学問よりも、いかに法律をわかりやすくするかという学問体系があってもよいのではないだろうか。商法とか、民法の分野ってあまりにもわかりにくい。そもそも、わかりやすい法律を作るためのガイドラインというか、思考とか、思想とかもっと真剣に追及されるべきではなだろうか。

毎回思うのだけど、法律って、義務教育を終わった人ならだれでもその原理原則は理解できるようにするのが国の義務だと思うのだけれど。それは、教育の方を法律とか、社会的な知識に近づける努力でもある程度達成できるだろう。もちろん、英語に訳しても意味が通じるくらいには、わかりやすく書き直してほしい。あと、施行令とか、規則とか大杉。もっと一本の法律でわかるようにしてほしいなぁ、真剣に。

経営学よりも経営管理学のが実用的であるようにおもえるけど、文学はあっても、文章学はないのが日本の悲劇かもしれない。いかに伝わる文章を書けるかの訓練はとても大切。法律の分かりにくさにも直結。お役人のさまざまな非明示的な条文を読み取る訓練も必要。


プンプン。


なんでこんなこと書くかっつうと、この前「士」な方と話したから。

「なんでこんなに分かりにくい法改正が多いんですかね?」

「毎年改正がないと、私たちが困っちゃいますから。」

法律の改正は、一般国民のためではなく、その法律の施行に関わる方々のためにあるのだと知った瞬間だった。だから、できるかぎり法律なんて作らず、改正させない方がいい。


■追記 いくつか違和感を感じる

このエントリーとなんとはなしに関連を感じるので、あらたにエントリーを起こさず、追記する。

 そして、国民、労働者の側は、これまで「開発主義国家」と「企業主義統合」の中で暮らしてきましたから、国家行政と地方自治体などから生活を支えてもらっている実感がほとんどないわけです。行政サービスを受けているという実感のあまりない国民は、「開発主義国家」における官僚の腐敗などをマスメディアでみせつけられると、「官僚が日本をダメにしている」などという公務員バッシング言説にすぐだまされてしまうわけです。しかし問題の本質は、「政・官・財癒着」の社会システム、つまり、自民党政治とキャリア官僚と財界・大企業の合作政治・行政にあるわけで、その構造にメスを入れ、改革していかなければ日本社会を改善していくことはできないのです。

日本で激しい公務員バッシングが生まれる理由|すくらむ

日本が開発主義を克服しないと先へ歩を進めないという話は賛成。開発主義はももちさんから、教えていただいた。

問題はももちさんのおっしゃる「開発主義の終焉」だ。つまりはこの政策の転換点にあってどうやったら故郷という環境を守れるのか?

経済学的に言えば建設業やら地場産業とグローバル、全国展開企業の乗数効果で量ってどちらが大きいかという問題になる。

「まだ、僕には帰れるところがあるんだ、こんなに嬉しいことはない」 - HPO:機密日誌

好むと好まざるとにかかわらず、「開発主義」の大きな物語の元で日本のすみずみまで経済がいきわたり、安定した社会を築いてきた。後藤道夫教授が指摘されているように、遅かれ早かれ開発主義は終焉を迎えなければならない。その後に来るものが、高度福祉社会なのか、真・自由主義市場経済社会なのかが日本の選択となる。この対立は、大きい政府と小さい政府という議論でもある。

日本の有能なお役人たちをこの対立軸のどこにおくか?もちろん、高福祉国家の実現であり、大きい政府を志向してこそ、お役人は最大限「お役」に立ってくださるだろう。

昨日、finalventさんのところでコメントさせていただいた。お役人こそワークシェアリングしてはどうかというご意見に脊椎反射してしまった。

finalventさん、

公務員ワークシェアって、お役人さんの仕事って文書主義徹底してますし、法律や内規でマニュアルがちだし、そもそも属人的なやり方はお嫌いだし、とてもフィットすると思います。他方、どうしようもなくお役所が肥大していってしまいそうで恐いです。

あ、いや、それのみが生産性過剰の現代社会の方策かもといま想いました。働きたくない人は公務員になって生きればよいと。ベーシックインカム負の所得税ですな。

        • -

お役所を見ていて思うのは、表面づらのルールは山程ありますが、あるべき理念、存在理由、地の塩、原理原則、果ては目的がまったく分かってないのですね。(組織論的には)末端までなぜそこにいるのか、なんのために仕事をするのかが充満している状態こそが、ルールが明確な職場であります。

大きな政府の姿の究極は、すべての国民が公務員になってしまうことだ。そして、公務員のワークシェアリングは、ベーシックインカムのように、役に立ったか立たないかに定額の給付を受けて生活する...。

ふと気づくと、現在の自由主義・民主主義国家の原則から考えはじめたはずなのに崩壊したソビエトの社会や、自由主義経済体制を受け入れる前の中国で見たような図式になってしまう。ここが恐ろしい。

本エントリーの法律の改正がなければ仕事がなくなってしまうという、表面つらは国民のためだといいながら自分の利害を守るために仕事を作り出している方々がいらっしゃる。しかも、後藤教授ご指摘のように大企業と、巨大職能集団と、既存マスコミと、お役人とが「つるむ」ことでそれぞれがその力を増してきた。戦争経済からここまできたのだと思うのだが、論証は別にゆずる。

欧米社会を見れば、企業も、職能集団も、マスコミも、本来小さな政府を志向している。政府と対立するとこにより、その自由を得るのが一般的な自由主義、民主主義における企業、職能集団、マスコミのであった。真の戦後がいつまでたってもやってこない、いつまでたっても米国の庇護、お役人のもとで、負け犬のままできてしまった日本国民の悲劇がここにある。お役人とともに開発主義の残像を追って大きな政府をいまだ志向しつづけている道は、没落にしかつながらない。

とはいえ、私になんら処方箋があるわけではない。ただ、日本の古来からの知恵は信じている。

私は一地方の一民間人でしかない。いろいろな面でお役人のお世話にもなっているし、いさかいも起こしている。つまらないことで対立するよりも、苦労はともなっても日本らしい歴史がこれから進展することを祈ってやまない。

■追記の追記

失望のままキーボードから離れた。風呂上りに見たテレビに目を奪われた。

子どものやる気の4つのスイッチだそうだ。

  • 競争させる
  • まねさせる
  • すこし難しいことをさせる
  • 認める

やっぱり、日本は捨てたものじゃない。崩れていく仲から、次の芽がめばえているのかもしれない。うれしくなった。