恋愛とは人類集団における同性間の力と力の戦だ。そして、文化が発展し社会になると、純粋な力から男女の手練手管の競い合いになる。純粋な力の争いでも、文化的な手練手管でも、結局は異性と交合する権利を力で勝ち取れるか否かに過ぎない。人間社会も猿山に過ぎず、男性=雄側から言えば、ボス猿になれるかなれないかが人生を決する。こうした観点に立てば、恋愛結婚しか認めない社会とは争い方がずるい社会だと言える。争い方が社会的な規制から自由になり、競争にはどめがなくなった分、サル山のサル社会以下になりはてている。
ちなみに、恋愛で異性を勝ち取る力すらもべき分布するので独占を産む。異性への魅力、力のべき分布とは、アイドルだの、プレイボーイを想い浮かべればいいだろう。べき分布のあやうさは、独占を打破る大きな戦いが生まれる。
既に仮想的な存在となりはてているが、伝統的社会集団・家族間では、異性との交合、結婚は「調整」される。直接の力と力のぶつかり合いにバランスが取られる。あるいは、社会的な力が異性への力を中和し、「仕方ないか」という程度で結婚が継続される。その代わり、力あるものが雄、雌を独占することはない。伝統的社会の構成員の間で、完全な満足とはほど遠くとも致命的な決裂は起こさないですむ。
「恋愛は不潔だ」と私の祖父がはきすてるように言ったと聞いている。その気持ちが今になって少し分かる。伝統的社会を維持するには、恋愛という力は危険であり、抑圧すべき力だとなる。
ただし、株式市場のように恋愛の売り買いが制度化された場合には、争いが軟化する。恋愛力を貨幣のように量で表せれば、効用関数でどれだけの恋愛の売買が妥当であるかが決定されうる。逆に恋愛とは質であり、1を超えて効用などありえないとする制度設計の方が恋愛市場は交換機能を失う。そして、大いなる戦いを生むだろう。そして、現在の恋愛至上主義の社会では恋愛を効用関数であらわすことすら認められない。王子様はお姫様を白馬で迎えなければならない。男女の恋愛が権力闘争である本質を描いた源氏物語がよりリアルに感じられる地平だ。
逆に言えば前近代の小集団社会は、結婚の調整機能が個人にゆだねられていなかったという意味で計画経済的であったと言える。そういえば、栗本薫の「レダ」が描く完璧な管理社会においては、結婚、パートナーシップは都市の最大のアートであり、セックスすらも、専門家に管理されている社会だった。自由恋愛を謳いながら、管理社会によってセックスまで規制される社会が未来なのかもしれない。
- 作者: 栗本薫
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■ほほぉ!
やっぱり、未来には恋愛はなくなるんじゃないかな。
■恋愛という不自由
恋愛でしか相手が見つからないという思い込みこそが不公正で不公平だ。
いっそ、お見合いをしてれば、実はもっといい出会いがあったんじゃないかとか
その夜、彼女は静かに幕を下ろした - Attribute=51
好むと好まざるとにかかわらず相手をみつくろってくれたお見合い文化が廃れてしまった。結果、「恋愛教」*1が世界を支配し、世界はより不平等になった。好むと好まざるとにかかわらず、男は女を女は男を得たいと思っている。自分だけの男、自分だけの女が生きていくうえにはどうしても必要なのだ。この人生の一大事を「恋愛」という市場主義、自由主義に任せてしまった結果が多くの悲劇を生んでいるのではないだろう。
肯定するつもりはひとつもない。非常にうさんくさいと思っている新興宗教で結び付けられたカップルに昔あったことがある。ごく普通の夫婦だった。その教祖の行動やものの言いを見ているとかなりいい加減に結び合わされたのに違いないのに、ごく普通に子どもがいて、ごく普通に幸せそうで、ごく普通にけんかしていた。結婚とか、男女の出会いなんてそんなもんだ。
私には恋愛をあきらめることは、一生一人で生きることを意味するとは思えない。こんなに無愛想で、気が利かなくて、いけてないご面相の私ですら、パートナーにめぐまれ、子どもにめぐまれ、普通に生活している。もう20年になる。早いものだ。おじさんのお説教と受け取ってもらってかまわないのだが、恋愛だけが道じゃないって。
■未来には恋愛結婚はなくなり全員が結婚できるようになる
この例がわかりやすいだろう。麻生首相に感謝。
メディアで婚活を煽るとか安直なマーケティングに走る前に、安心して子育てできる環境をどうつくるか考えるべきではないか。
「金がないのに結婚はしない方がいい」よね確かに - 雑種路線でいこう
仮にこの「べきだ」が実現されたとしよう。 → ば誰もが結婚できる。 → それでも恋愛結婚できるやつ、できないやつがでる。 → 「べきだ」が発動 → 「誰もが結婚相手を見つけられなければならない」ことが国是に。 → 国家お見合い法の成立。恋愛結婚の絶滅。
*1:「恋愛シジョウ主義」とでもいった方がよいかな?