英文の憲法9条は徹底していて、潜在的なものを含めて武力を保有することはできないと書いてある。*1これでは防衛のための自衛隊すらその存在根拠を失う。たぶん、米軍はこれは時限爆弾のようなものだと思っていたに違ない。占領が終わった後、10年以内に憲法を改正するか、他国に再占領されているかのふたつのひとつしか日本に残された運命はないと。
- 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
- 発売日: 2005/12/22
- メディア: DVD
- クリック: 25回
- この商品を含むブログ (224件) を見る
映画しか見ていないのでえらそうなことは言えないが、「亡国のイージス」中の論文と昨日のエントリーはえらくかぶる。
『真の国力とは、国家資産や経済力、軍事力などではなく、その国が培ってきた普遍 的な価値観、歴史、文化であるにもかかわらず、我々日本人は「日本とは何か」「日本人として何を誇るのか」という自らの問いかけすら忘れ、唯一のイデオロギーであった【恥】という概念も捨て去り、世界に向け主張できる価値観など、とうになくしてしまった。そして、それが国としての存在に関わる根源的な問題であることに、気づこうとすらしない。今、この国は、すでに国家としてのありようを完全に失ってしまっている。日本はもはや、『亡国』と化してしまったのだろうか』
亡国のイージス論文 : この国は少し変だ!よーめんのブログ(日本こそ一党単独極右軍事政権でなければならない)
誰もがこのままでは日本の国の存続はないと気づいていながら、なにもできなかった戦後60年。やはり、このままでは日本人はいつまでも負け犬なのだ。
私は、防衛大学を受験した*2。当時、海上自衛隊へ進もうと思っていた。それが、いまのこの体たらくであることは言い訳のしようもない。ただ、この映画で描かれているすでに自分の生死は感情に入れていない男たちに涙することしかできない。
劇中の内閣情報室の男のセリフもまた真実ではある。
それでいいんじゃないかと俺は思っているよ。平和なんて戦争と戦争の間のはざまにしかないんだよ。
しかし、その真実すら真実ではなくなる時代がすぐそこまで来ているような気がしてならない。
2度目の協力要請の時、同庁広報は再度拒否するつもりだったが、同作品の読者であった石破茂長官(当時)が再考を促し、また原作者や映画制作関係者が艦艇部隊や江田島などをくり返し見学し、映画の内容修正を行ったこともあって、防衛庁(現:防衛省)側の協力が実現した[3]。
亡国のイージス - Wikipedia
この映画を実現させた石破さんにエールを送りたい。
以前、どっかに調べて気がするんだけど、GUSHOのような毒ガスを米軍が日本国内で貯蔵しているという設定は結構ある。たしか、題材になる事件があったような気がする。
- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1995/02
- メディア: 文庫
- 購入: 21人 クリック: 78回
- この商品を含むブログ (131件) を見る
- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1995/02
- メディア: 文庫
- 購入: 19人 クリック: 21回
- この商品を含むブログ (84件) を見る
- 作者: 村上龍
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1984/01/09
- メディア: 文庫
- 購入: 12人 クリック: 433回
- この商品を含むブログ (200件) を見る
- 作者: 村上龍
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1984/01/09
- メディア: 文庫
- 購入: 9人 クリック: 32回
- この商品を含むブログ (119件) を見る
やはり沖縄だったか...わからない。
■参照
やばい、内田樹さんに共感している...
真田は「言われた通り、撃つ前に考えた」とつぶやく瀕死の少年兵にこう言う。
内田樹の研究室: 『亡国のイージス』を観る
「考える前に考えるんだ」
よいことばである。
最適な戦略的選択をためらわない冷血さと同胞に対する制御できないほどの愛情という矛盾を同時に引き受け、それに引き裂かれてあることを常態とすること、それが「戦争ができる人間」の条件である。
その「引き裂かれてあること」を徹底的に身体化するというのが、「考える前に考える」ということである。