HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

日本には保守主義の伝統があった!

昨日、日本国憲法についていろいろ書いてから、まじめに考えてみた。

いくら事実上の米軍占領下で「与えられた」憲法であっても、憲法憲法に違いない。日本の国の形を確実に決めている。憲法は生きていると言える。しかし、憲法が国民の間で生きて、働いて、実効性を持っているのは、憲法に書いていない部分が書いてある部分を生かしているからだ。例えば、書いていない部分がどれだけ大事かは、ブログで数年前に調べた米軍のイラク占領政策と比べてみればわかる。日本の占領と比べてイラクにはかなりのエネルギー、人命から言えばはるかに大きな資源が、注ぎ込まれたが、いまだに「国造り」が順調に行っている気配はない。

そういえば、イラク暫定統治機構が主権を持っていた頃、CPAのホームページにイラクへのビジネス進出を呼びかけるページがあったが、悪い冗談にしかとれなかった。

[書評]フランシス・フクヤマ的国生み ~ State Building ~: HPO:個人的な意見 ココログ版

この憲法に「書かれていない部分」、「語られていない部分」が組織をして組織たらしめ、国をして国たらしめている。

...と、つらつらと考えながら家族の正月のあいさつの場に出た。家人から先手を打たれた。自然のあり様とは、決して安定しているわけではない。これまで大絶滅もあった。弱肉強食で、すべての生き物は競い合い、共生しあい、ある意味でがまん、忍耐を重ねてきた。人間だけがこれらの自然法則から自由であっていいわけはないと。やはり、日本国憲法だけで日本人を定義することに所詮むりがあるように、国というものも伝統的に形成されてきたわけで、無理やり法律上でああしろ、こうしろと大陸法的に人工的に社会の形を作ろうとしても文字通り不自然さが残る。むしろ「なにがおわすとしらねども」という語られない部分をこそ大切にすることがバークではないが、保守主義ではないか。また、慣習の中から法律が作られるという形こそが自然ではないだろうか?

木を植える時に、二坪に12本ばかり比率で苗木を植えていくのだという。それを次第に、まきにつかったり、雑材につかったりして、最後は、二坪に一本程度になるように間引いていくのだそうだ。しかも、人工的に同じ樹種だけを植えると森に勢いがなくなる。近年では花粉症も引き起こしている。植林なんてのは、実に自然と人間の「自生的秩序」ではないだろうか?

そから憲法の話もして、家人が持ち出したのは以下の英文だった。

Know ye. Our subjects:

Our Imperial Ancestors have founded Our Empire on a basis broad and everlasting and have deeply and firmly implanted virtue; Our subjects ever united in loyalty and filial piety have from generation to generation illustrated the beauty thereof. This is the glory of the fundamental character of Our Empire, and herein also lies the source of Our-education.Ye, Our subjects, be filial to your parents, affectionate to your brothers and sisters; as husbands and wives be harmonious, as friends true; bear yourselves in modesty and moderation; extend your benevolence to: pursue learning and cultivate arts, and thereby develop intellectual faculties and perfect moral powers; furthermore advance public good and promote common interests: always respect the Constitution and observe the laws; should emergency arise, offer yourselves courageously to the State; and thus guard and maintain the prosperity of Our Imperial Throne coeval with heaven and earth. So shall ye not only be Our good and faithful subject, but render illustrious the best traditions of your forefathers.

The Way here and forth is indeed the teaching bequeathed by Our Imperial Ancestors, to be observed alike by their descendants and the subjects, infallible for all ages and true in all places. It is Our wish to lay it to heart in all reverence, in common with you, Our subjects, that we may all thus attain to the same virtue.

_The 30th day of the 10th month of the 23rd year of Meiji._
(Imperial Sign Manual. Imperial Seal.)

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1028/tyokugo.html

なんだかわかるかな?実は、これ教育勅語

イギリスの保守主義をうたった文章として読んでも自然ではないか?

これはやられた。なるほど、よく読んでみるとこれこそが日本の歴史、伝統から、保守主義として国の在り方を示しているのではないだろうか。決して人為的に作った在り方ではなく、それまでの一般庶民がみんな「そりゃ、そうだよね」と思える内容がここにはある。

教育勅語の語り方は、決して頭から強制するのではない。むしろ、願いであり、祈りではないだろうか。曰く、「なかなか夫婦合い和し、兄弟朋友なかよくとは、なかなかいかないが、日本の国では和をもってたっとしてしてきたし、これからもそうしていけば、国として成り立っていくよ」と。

教育勅語とそのまま自然な形でつながるわけではないが、本居宣長の言葉に耳を傾けるべきだ。

世の中に生きとし生ける物は、鳥や虫に至るまで、自分の身の程に応じて必ず行わなければならない範囲の事は、産巣日神の御霊によって自然とよく知って行うものである。中でも人は特別に優れた物として生まれて来ているのだから、その優れた程度に応じて、知るべき範囲のことは知り、すべき範囲のことはするものなのに、どうしてそれ以上のことを無理に強要する必要があろうか。教えによらなくては知ることすることもできないというなら、人は鳥や虫にも劣っているというのだろうか。

ことばに命をかける、命をことばにかける - HPO機密日誌

以前、中川八洋さんが「バーク流の保守主義を至急輸入し、日本の法体系は英米法を模範とすべきだ」という書いていたが*1、むしろ本居宣長のように日本の古来から続く伝統の中に「自生的秩序」を発見し、これにならって独自に自然な法体系を作り上げていくべきではないだろうか。日本国憲法が期待するほど、私自身を含めて日本の国民は民主主義、自由主義を理解していないし、全面的に了解しているわけでもないと私は信じる。お勉強好きな方だけが理解できる法体系はいずれにせよいかがなものかはと。

熱帯雨林の動的均衡

なるほど。

際の熱帯雨林は猛烈な勢いで破壊の進行する生態系だ。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/1cebd763bfbab295f0705aab205b44ba

池田信夫先生、あけましておめでとうございます。