師匠のいったことを取捨選択しない。いや、まさに。ラジオを聞いてて感動した。
- 作者: 立川談春
- 出版社/メーカー: 扶桑社
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- 作者: 親鸞
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先日、といっても昨日西本願寺さんへ行った。歴史としては学んでいても、西と東であれだけ栄えている寺院を見るのはやはりインパクトがあった。同行したものの親族さんが実は浄土真宗なんだという話もあり、売店で売っていた歎異抄を買って鴨川のほとりで読み始めた。そこにあるのは、どこまでもどこまでも師の言葉を守ろうとする弟子の態度だった。歎異抄というタイトルも「近頃師の言葉と異なる言い争いがあるのを嘆く」という意味でつけたのだと初めて知った。
私にとって歎異抄はなにか開くことのできない本であった。高校二年生から大学を卒業するくらいほぼ常にいつかは読もうと机の上には置いていた。それでも、読み進めることはできなかった。いま読んでみて、大変具体的でり、弟子の取るべき態度がそのまま書いてあると知った。
立川談春師匠の「赤めだか」はまだ読んでいない。ついさっきラジオでご本人が語っていらっしゃるのを聞いただけだ。「弟子入りした直後はなんでも師匠の言うことが絶対でいたので、どういう噺をしたのか、いつどのような順番で話したのか克明に覚えていた。ところが3年もたち、一人前だと勘違いしたころに師匠の言ったことをこれはできる、これはできないと自分で取捨選択しはじめた。途端に時系列がくるっちゃうんですよね。」という意味のことをおっしゃっていた。私と同年輩でありながら、ここまで師が絶対である態度をとられている方がいらっしゃることに驚き、尊敬した。
人は自分の求める姿そのもにはなれない。なれないながらも師とあおぐ方を絶対として受け入れ、その異なることを歎く姿勢であることがとても大切なことだといま思える。