HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ハコモノ2.0

火付けもと medtoolzさん

ハコモノ1.0はとうとう姿を消しつつある。

そもそも近代建築が目指した高集積化が達成された70年代ですでにメトロポリスは現実のものとなり、土地の所有が生産手段の独占と富の蓄積とイコールであった時代は終わっていた。技術的に集積化が達成されても、人の習慣というものはなかなか変えられない。日本においては、分散型国土とか列島改造といった「標語」で地方へのばらまき行政により均衡をたもっていれた。希望するすべての人が都内に戸建てで住むことはできなくとも、いままさに崩壊しつつある第4次マンションブームにいたる数次の住居の高層化により集積は一層進んだ。すでに、ハコモノ1.0は崩壊し、産業用だけでなく土地が資産としての価値を失いつつある。

そして、圧倒的な空間の縮約というハコモノ2.0が出現する。

そこにネットという、リアルの土地を全く必要としない広大な空間が出現した。ケータイというどこでもドアにより、日本のほとんどすべての人が別の天地を発見し、移住しつつある。いや、移住は言い過ぎかもしれないが、電脳空間において楽しみ、悲しみ、人と出会い、アイデアを共有し、学び、ビジネスを花開かせ、恋をすることを習慣の中に取り込んだ。某所の某さんのアイデアであるが、「娯楽産業の超デフレ」という事態を迎えるにいたった。

ま、その結果が私の仕事にどう影響するかを真剣に考察しなければならないのだが、空間の集積が極限まであがった先の世界がどのようになるのかを真剣に考えるべき時がすでに来たっていることは明らかであろう。

学校そのもの、子どもの遊び場そのものを仮想化してしまえというのが、ハコモノ2.0の世界ではないだろうか?日常生活そのものが超高集積した空間と、ごく低密度な空間との重ね合わせで構成される日に、産業構造が大きく変わるのであろうが、いまの私にはまだ創造できない。ハコモノ2.0...いかなる世界なのであろうか?

ひとつだけ言えるのは、世界が変わるときとは世代が変わるときであり、人の生活習慣が変わるときなのだということだ。ハコモノ1.0のしぶとさはこの辺にある。

■さすが!

先輩!さすがです。

自分は”消費している、鑑賞している”

だけという意識から、

”創造している、働きかけている”んだ

という意識へ。

ハコモノ2.0は? - はてブついでに覚書。

■そもそも

「無駄」としか思えないものであっても、行政サービスとして行うしかなく、それが全体としての均衡に必要なものなのだと私は主張したいけど、いまの世の中では受け入れられないんだろうな。

箱物(はこもの)とは、行政が設置する公共施設のうち、特に中身(住民の利用や運営に必要な専門スタッフなど)が追いつかない状態のものを揶揄的に表現した言葉。概して(箱と呼ばれることのある)劇場などの建築物を指すことが多いことからこのように呼ばれる。行政の無駄遣いに対して批判的に用いることが基本となるため、基本的には民間の建築物は含まない。

箱物行政 - Wikipedia

■それこそが

ハコモノ2.0なのでしょうね。

変革というものは、形から始まる。

それがあることで、今より圧倒的にすばらしい生活の風景を物語るやりかた。あるいは、今ある風景を「ハック」して、同じ動作に、全く違った意味とか機能を忍ばせるやりかた。

形が機能を支配する - レジデント初期研修用資料