結局、人が無条件で明るくいられるというのは明日に期待ができるから。そうそう、団塊の世代の方がには、こんな曲が懐かしいのではないか?
この200年間人類は走ってきた。近代オリンピックの信条のままに、より高く、より速く、より強く。走る、走る、走る、走るおれたち、流れる汗もそのままに。今日よりも明日、明日よりも明後日、明後日よりも1年後には、お給料が上がり、新商品が発表され、生活の選択肢が広がり、新しい技術が開発されすべての問題は解決されると思えていた。それは、ついこの間まで真実だった。それは、いっつおんりぃいえすたでぇ。*1
冷静に考えてみると、近代の前の1000年くらいって明日に希望を持てない時代ではなかったろうか?源氏物語なんて読んでみても、たいして生活感みたいのは変わらない。贈り物しあったり、お酒をのんだり、エッチしたり、貴族から普通の人まで範囲はひろがったとはいえ、やっていることは大して変わらない。読んで感情移入できる古典って意味でいえば、この3000年くらい人は大して変わっていない。その前からはちょっとかわったかもしれないけど、それはまた別な話。
技術の進歩がとまっていれば、選択肢は広がらないし、新商品もなかなか発表されないし、お給料もあがらない。どうも人類の人口も増えたり、減ったりしていたらしい。どっちかといういとローマ帝国や中国の歴史を見ていると、昔の方がすばらしかったという神話が広がっていた。
結局、未来がある、明日がある、明日がある、あしーたがあーるーさぁ!的、未来は確実に現在よりもすばらしいのだと思えた時代の方が人類の中では特殊だ。んで、なにが問題かって、未来に夢が描ければ借金をみんなするけど、未来に夢がなければ別に好んで借金をする必要はないということ。つまりは、現在石油が値下がりして金融経済帝国の存亡が問われる状況になってきているけど、もっと長期的に見れば貨幣が債務と両立てで消えていくことになる、もし未来がなければ。
ただ、未来、進歩という概念がなくなればもちょっと既存の技術に親しみをもてるかな、と。利用の仕方も文化的になるかな、と。
ま、そんなことを朝から書きながら、今日も一日がんばりましょう!
inspired by id:finalvent さん
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■追記
こんなにはやくここまで未来は明るいという進歩主義というか、貨幣への期待が崩壊するとは思っていなかったけどね。
要すれば、ソロスがいうように、『経済活動においては小さなバブルの形成と破綻は普通に繰り返されるが、今回の破綻は、戦後60年間膨れ上がって来た、「スーパーバブル」と呼ぶべき信用拡大の終焉を意味する』、ということであるが。
はてなーにもわかる金融業界の栄枯盛衰※追記あり - よそ行きの妄想