HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

国債はなぜ利払いをしなければならないのか?

国債とは、実は貨幣だ。国が国債の価値を保証している*1のなら、その価値を国の庇護のもとにいる国民も企業も否定することはできない。それって、通貨の発行権*2そのものではないか?

ならばなぜ国債の利払いをしなければならないのか?これからは、若者の希望が失われることによって、ますます選択の束としての貨幣の価値が下がっていく時代だ。利払いをすることにより国家が破たんし、国債そのものの価値がゼロになるのであれば、利払いを続けることの方がナンセンスではないか?いまの体制を維持するために未来を放棄する行為以外のなにものでもない。選択の束としての貨幣の価値とは、発行する国に人が住み、商売をし、恋をして、子どもを産むことによってのみ保証される。人がそこに住み、商売をし、恋をし、子どもを産むためには、国や地方政府のサービスが不可欠だ。そのためには、財政が生き残らなければなない。その財政が、国債の利払いによって破たんするとはなんたる矛盾であろうか?

いかなる理由で金取引人の末裔である中央銀行に通貨の発行権が譲渡されてしまったのか私は知らない。中央政府と政府がお互いに財政機能を持ちあうことが、資源の最適分配と人の動機付けとしての経済の安定に寄与しているというのも否定できない。それでも、いち上場企業である中央銀行が発行する債券である日本の円は利払いをしなくともよいのに、実質国が発行する貨幣である国際は利払いをしなければならないのはなぜか?

お役人や国民の将来への不安とアパシーがますます広がっているのは*3、年寄りのための政府、政策ばかりであり、現状維持を打破する世代間闘争を勝ち取らなければいずれ紙切れになる日本円への失望が根本ではないか*4?そして、その不安は財政赤字の幾何級数的な伸びによってますますあおられている。ここはいっそ利払いを停止し、将来の日本の国の財を抵当とした債権に切り替えるべきだ。財政を健全化し、政府自体が資産を増やし、債権を減らすことが将来的なみんなの幸せを産む。役人も、国民も、企業も、中央銀行も、年寄りのための利払いによって政府がつぶれることは望まないはずだ*5。将来、日本の財が価値を上げればその時はみなが果実を得ることができるというゼロクーポンのABSにすべきだ*6

お金を燃やすことは権力の移譲なのだ。年寄りから未来の時間という財産を持つ若者へのほんとうの資産の譲渡なのだ。


■追記

あまりにも面白そう!

私たちは長い長い江戸時代を生きてきたといってもそう間違いではないかもしれない。そして、もしかすると、それが今終わろうとしてるのかもしれない。

[書評]江戸の経済システム 米と貨幣の覇権争い(鈴木浩三): 極東ブログ

さっそく読みます!


■追記 その2

企業と国家は違うことが当然だとわかっていても、やはり同じでないかと言いたくなる。

会計的にも、長期的な株式での出資や金銭消費貸借での融資は、「資金を出す側」からすると、ともに「投資(固定資産)」的な概念ですよ。

投資と融資の違い | isologue

ま、それは国民は国家に対して債権者ではないというあかしなのだろう。

■追記 その3

なるほど。大変わかりやすい記事。

id:it1127さん、ありがとうございます。

*1:んだよね?

*2:シニョリッジ

*3:お役人と国民のインセンティブの不調和はこちらを
高まるインフレ気運、減速するお金、群れを分ける法律言語 - HPO:機密日誌

*4:このコメント欄を参照のこと。
国債を持っているのは誰なんだろう? - HPO:機密日誌

*5:望んでいる人もいっぱいいるのは事実。

*6:どうしても河井継之助のイメージから脱却できないのだが、対外的な債務についても徹底的に説明し、変換を納得させるべきだ