HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

思い出せないと思っていると思い出せない、思い出せないということを忘れてしまうと思い出せる

なんか夕方ネタを考えていたのだけれど、忘れてしまった。ほんとうにさっきまで覚えていたはずなのに、忘れてしまったと漠然と思っていると思い出せないものだ。

夕方米国人とお話をする。

日本の不動産ローンは、20年しかもたないのに30年のローンをつけるのは不思議だといわれ、答えに窮した。また、日本ではアパートを建てても、戸建てをたてても、すぐ新しい物件ができてしまうから、どんどん不動産の価値が下がる、米国ではそういうことはないといわれ、これまた答えに窮した。

そうそう、思い出した。

負のストロークについて書こうと思ったのだ。不謹慎のそしりを免れ得ないが、最近起こった事件のいくつかは認知欲求から出ている。生存欲求や生理的欲求ではない。相手に殺されてしまうから、ことをしでかすのではない。人に認められたいから非常にゆがんだ形で「負のストローク」を求めてしまう。やはり、いまの日本は究極の「歴史の終わり」の国なのだろう*1

*1:「最後の人類」(オメガマン)の生息する場所という程度の意味で、「歴史の終わり」だ。つーか、フランシス・フクヤマは、終わった歴史の後は、歴史をも知らず、科学をも知らず、合理的判断もできない、感情と偏見にのみ動かされる動物のような人間の世界が待っているときちんと書くべきだった。