クルーグマンの「さっさと不況を終わらせろ」がまだ読み終わらない。それでも、だらだら読み続けている。読めば読むほど、クルーグマンの使命感が伝わってくる。

- 作者:ポール・クルーグマン,山形 浩生
- 発売日: 2012/08/01
- メディア: Kindle版
それは、「国全体で稼いだ金を富裕層だけにまわすのをやめろ!」という意思だ。いまの米国は、不況対策をしていていもまだ富裕層に有利な形になっている。それをやめさせよう、方向転換させようという意思がひとことひとことにひしひしと感じられる。
ミャンマーに行ったときに、アジア最貧国だと聞いていたのにベンツや、BMWの高級車を乗り回し、ヨーロッパに年に何度も旅行する富裕層がいることを聞いて驚いた。ああ、国というのは利害の束であり、国として本気で価値を稼ぎだそうとすればいくらでも方法はあるのだなと。
クルーグマンが不況がよくないというのは、基本的には仕事を失う教師がでることや、職業訓練や、必要十分な教育を受けられなくなる世代が生じるからだと言う。決して、国ありきの発想ではない。彼が非難するのは、中途半端な金融政策、政府支出の政策によって、不況対策が十分とれなくなることだ。インフレになること、国の財政が赤字になることが気に入らない「国債自警団」、「通貨マフィア」のような人たちにクルーグマンの矛先は向いている。そして、クルーグマンのまなざしは中途半端な支出抑制により職を失った何万人もの教師に向いている。国として儲かるもうからない、単純な国益にかなう、かなわないではない。当然、クルーグマン個人が利益をうるためでもない。
私はこのクルーグマンの姿勢こそがリベラルだと思う。カエサルが、民主主義、元老院主導により貧富の差が開き大規模な内乱になったローマを憂えて、帝政を選択した。その名が「皇帝」という言葉になるほど、真剣に徹底的に帝政を目指した。それしか、「小さきもの、弱きものへの慈悲」を体現し、内乱を避ける方法はないと確信していたからだろう。
べき乗則を持ち出すまでもなく、階級社会、つまりは貧富の差が固定された社会はもろい。また、国民の統一が損なわれる。保守であるはずの自民党の安倍首相がインフレターゲット政策を推進し、革新であるはずの民主党がそれに反対する。この辺の識見のなさが日本のリベラルの底の浅さを見せているようでならない。
リベラルがきちんとリベラルであることの困難性について。
https://twitter.com/finalvent/status/311630014737166336
id:finalventさんのこのつぶやきが、このことを意味しているのか、私にはわからない。責任を負うべき組織、自分がくらす地域社会、コミュニティにおいて、クルーグマンの姿勢と勇気は見習いたいと改めて思った。