HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「ロンドンのパン供給責任者」

id:finalventさんとマルクスとリベラルについてツイッターで会話した。私のあほさかげんをさらしただけで終わった。ちょうど読み始めた「殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?」*1の冒頭に自分の想いと共通するエピソードが紹介されていた。

ソ連崩壊の約二年後、私はサンクト・ペテルブルクのパン生産を指揮する立場にあるロシアのある高級官僚と話したことがある。「われわれが市場制度への移行を切望していることを理解して欲しい」と彼は私に言った。「しかし、その制度の仕組みに関する基本的なところを詳細に理解する必要があるんだよ。たとえば、教えてほしいんだが、ロンドンの全人口にパンを供給する責任者はいったい誰なんだね?」

殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?―― ヒトの進化からみた経済学

殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?―― ヒトの進化からみた経済学

これは笑い話しではない。計画経済において、いかに「商品供給」が複雑怪奇なものになるかを見事に活写した話しだ。本書では、サンクト・ペテルブルクのパン供給とは対比的ににシャツ一枚とっても、今日「商品供給」にかかわる人々が自分の専門分野のことだけしかわからない「視野狭窄」のままで経済がまわる体制ができているかを論じている。それは、供給にかかわる各段階の人々を「信頼」することが基本となっていると。いや、各段階の誰を信頼するのか、がなにをしているかすらを知る必要がないのだと。

マルクス自身は計画経済を是としなかったかもしれないが、マルクスの主張の当然の帰結として大変理性的で力のある誰かが生産の場面から消費まで全てを把握していないとシャツはおろか、パンですら人々が満足するだけ供給できないことになる。この理性的な人は高い能力と、広いコミュニケーションネットワークと、献身的な道徳的動機を備えていなければならない。個人でなく、指揮命令する集団でもかまわないが、全員が同じ理想を備えていなければならない。また、その集団内のコミュニケーションも慎重に計画されている必要がある。

おろかな「視野狭窄」な人々を計画経済下におけるパン供給にかかわらせれば、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」道徳は実践しない。たぶん「最小限働くために能力を最大限発揮し、必要以上に最大限受け取る」という行動をとるようになるだろう。この行動が、いかに「信頼」からほど遠いかは言うまでもない。

「リベラル」という言葉には「人を自由にする、すべての人を自由人とする」という含意が込められていると私は想う。自由とは、思想的、行動的自由はもちろん、自由な生活が送れる経済活動ができる自由も含まれている。マルクスの描いた主義主張は、結果的に人を自由人とする社会とはなりえない。どのようなものであれ、理性万能主義としか私には見えないマルクスが理想とした社会は、人は不自由な悲劇に陥らせるだけだと。このことは、20世紀を通じて証明されたと私は想っている。21世紀には21世紀らしいリベラルさが必要であろうと。

しつこいようだが、私はその思想と行動をクルーグマンに見る。

*1:本当にこのタイトルなんとかして欲しい・・・。