HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

小さきもの、弱きものへの慈悲

関連することを以前書いた気がするのだけれど、キーワードがどうしても思い出せずエントリーが見つからない。出てきたのは、id:fromdusktildawnさんへトラバしたエントリーだけ。

人間の文明以前には、食べる、食べられるの関係しか個体の間で存在しなかった。そんな状態であっても、うすっぺらなヒューマニズムみたいなものではなく、分裂さんが主張されるような食べる=食べられるという闘争関係=パワーゲームの渦中であっても動的な調和の状態は存在したのだと、私も信じている。

闘争、そして、太極へ - HPO:機密日誌

弱いものと強いものは世の中に常に存在する。これは好むと好まざるとに関わらず永遠の真理だ。

個体の集まった組織についても、事情は変わらない。強い組織もあれば、弱い組織もある。強い組織は大きくなり、弱い組織は消えて行く。

以前は、組織を維持すること自体が社会を安定に保つこと、繁栄に貢献するものだと信じていたのだが、某信用調査会社の担当者のひと言で認識が変わった。

「会社がつぶれても技術者の数は変わりませんからねぇ。みんなどっかへ吸収されていっちゃうんですよね。そして、新たな組織で新たな役目を与えられてがんばっているみたいですよ。」

弱いものが敗れ、強いものが弱いものを吸収していく。しかし、原初の細胞の融合が起こったように食い、食われしているうちに新たな生態系の中での地位を得る。個体は役割を終えたら土に還り他の個体のこやしになる。

常に存続しつづけよう、いまの形のままで行き続けようとする姿は醜い。その結果がたとえばこれだ。

衰弱死待つばかりのIT業界

IT企業が、独自性を発揮できる戦略を見出せないまま、もがき苦しんでいる。
(中略)
さらにプログラミング開発などの「力仕事」を労賃の安い中国などで運営するオフショア体制ができているのも大きい。
(中略)
危機的状況だと分かっていても現状打破策に手をつけてこなかった日本のIT業界。「結局は長い時間をかけて衰弱死するか、神風が吹くのを待つだけではないか」(開発コンサルタント役員)といった諦観も聞こえる。

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変革は多様性が十分にある弱きもの、小さきもの、多数のものの中から生まれてくる。強いものは勝ち続けていくうちに生きて行くための利点な致命的な欠陥へと必ず変質して行く。

強いものは常に戦い続け、勝ち続けるので、数は少ない。強いものの理想は、「ひとつにしてすべて」の存在になることだ。

これまでよくべき分布について考えてきた。まさに強いものと弱いものとが自然界で、人の世の中で、どのように存在しているかを記述するのにこれくらい便利なものはないだろう。

べき分布のグラフを見ていると運命論的に、強いもの大きいものの「winner takes all」な状況は固体化されてしまっているように感じるが実は違う。常に小さきものの中から独自性をもった大きなものへの運動が起こり続け、強いもの大きいもの少ないものが倒されていく中で均衡をとっている。倒されるときにサイバーカスケードが起こる。それは、あたかも、極小から極大へ向かい、極大の中に次の極小がの種が埋め込まれている大極のごとくだ。

個体が生きて行くためには必ず生存環境の下限がある。カットオフだ。環境の激変期にはカットオフの閾値が上昇する。大量絶滅の危機に瀕する。

環境要因が操作可能であれば、強いもの、少ないものは、カットオフをどんどんあげていき、弱いもの、多くのものを絶滅させてしまうことをいとわないだろう。しかし、それは多様性を失うわななのだ。

日本と米国のソフト業界のことなぞまるでわかっていない私だが、私から見て米国の企業は常に自分より小さいが独自性を持つ企業を取り込んでいっていくように感じる。日本の巨大IT企業は小さきものたちを自分の「えさ」として使うとしかしない。小さいものたちが独自性を持っていても、自分たちの方が優秀なのだからそんな正規性を持たない独自性を取り込むことは必要ないと決め込んでいるように私には見える。

ただ、逆に小さきものたちは、大きなものたちへの敬意も必要だ。十分に自分たちを食いつくす力を持っている個体が、生きる余地を残している、生態系の切り分けは、大きなものたちの守備範囲であることが多い。

わんに残ったごはんつぶを小鳥にわけあたえる行為は美しい。

釣りをして、小さな魚がかかったらリリースしてやる習慣は敬意をはらわれるべきだ。

路傍の花を愛でる余裕はいつの時代でも必要だ。

■追記

またしてもナイスタイミング!

いいかえれば、従来の日本企業は会社をタコ部屋にする「擬似奴隷制」によって従業員をコントロールしてきたわけだ。しかしこういうしくみは、労働市場が流動的なIT産業では、維持できない。

指定されたページがみつかりませんでした - goo ブログ

■追記 その2

お昼ご飯を食べながらreponさんのエントリーを読ませていただいた。私の問題意識と通底するものを感じたのだけれど、それはお昼のココアが産んだ幻想だろうか?

これからの未来に不安を抱いている人間に、「『自己権利』の行使をするためには具体的にどうするのか」「『自分を決める』とは具体的にどういうことか」を話してもらえればと思います。

2008-03-06 - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)

えらそげなことしか言えないのですが、私は私の経験を語ることしかできません。私は、家族を、自分の家族を持つことで変わりました。愛する対象を持つことは、自分がなにものであるかを愛をもって考えられるようになることです。血がつながっていようといまいと、愛する対象がそこにいることは、それだけで自己実現です。「あなたはあなたのままでいいんだよ」という100%の承認です。愛する対象はあなた自身なので、相手がどれだけれ暴虐に見えても、どれだけ強欲に見えても、どれだけ美しく見えても、すべては「自己権利」のうちなのだと確信できます。

人はひとりでは生きていけません。

■追記 その3

どうなんだろうか?

エリートとなりうる人々に、人々が無礼をもって答えてきたからではないのか。

人々の無知蒙昧に、エリートは耐えねばならない。これはエリートとしての、義務である。

しかし、エリートたりうる人々が、エリートにならねばならぬ義務もまた存在しないのである。

エリートとなるのは義務ではなく、しかしいったんエリートとなれば義務ばかり追う。

そんな損な役割の彼らの唯一の報酬は、敬意である。

404 Blog Not Found:エリートは日本(語)を救うか?

私のまわりには自分のためだけに生きた方がはるかに楽だろうに、苦労をしながら人のために生きている人はたくさんいる。その価値というものは、その人がまわりの人たちより賢いか、愚かかでは全くないと私は思う。

あぁ、もっといってしまえば、賢い人ばかりがいる都会に生きるより、「ばかになれよ」とまわりのみんなが言ってくれる田舎暮らしの方がはるかに楽しい。もっともっと告白してしまえば、東京で一流企業に勤め、人の羨むような生き方をする40歳の自分をイメージできなかった。逆に、田舎で暮らす私をイメージすることはできた。そういう生き方を20代で私は選択した。そのイメージは全く傲慢で不正解であったが、それでも42歳の現在、多くの方々と田舎で暮らす私は楽しく、しぶとく生きている。

ま、とりあえず「日本語が滅びるとき」を読んでみよう。あんがい日本語ってしぶといと思うけどな。