HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

べき乗則と資本主義の崩壊

出発点はまずこの2chまとめスレ。

そもそも、一般に言われる資本主義って実在するのだろうか?実在していないものは、崩壊しようもない。

民主主義は、選挙という制度で世にインプリメントされている。民衆がみずから民衆の主人であると宣言した時点で、自分のことは自分でやるよという近代理性主義は頂点を迎えた。自由主義も、リバタリアンだの、バーキアンだのと、思想的にはかなり深められている。また、必ず複数形であらねばならない「人権」によってこれまたインプリメントされている。

たしかに、共産主義社会主義の対極の概念として資本主義は存在する。しかし、実態はどこにあるのだろうか?どこの国で「資本主義」なるものがインプリメントされているだろうか?誰が資本主義の思想を深めているだろうか?

私の浅薄な理解では、資本主義とは、民主主義と自由主義インプリメントによって必然的に生じた結果にすぎない。

問題は、自由主義と民主主義の認められた社会は拡大志向にあること。そして、どこまでのその思想を広げていき、ローカルな境界をなしくずしにしてしまうこと。その結果、とてつもなく巨大なハブを産む。

ウェブの世界がどこまで広がり、世界を覆い尽くしつつあるように、自由主義と民主主義は友愛のお面をかぶってどこまで世界をフラットにしていく。これをネットワークという。ネットワークが結果的に巨大ハブを産む構造を、強いて言えば「資本主義」と呼びたい。

10年前には、ネットワークが世界をフラットにすることが、自由を推し進め、誰もが満足いく富を得るることだと信じられていた。だからこそドッココムバブルの夢は広がった。しかし、思想、民族、宗教、あるいは国内の若年層失業の問題を超えて、不回避なネットワーク資本主義が地域社会を押し流してしまった。伝統的な価値が失われたにもかかわらずそれに変わるあらため「村の境界」を生み出せないことが21世紀の悲劇だと思う。

そうそう、たとえばこのスピーチ。世界がつながることが、民主主義と自由主義の理想であり、帰結であり、未来だった。

via カオスちゃんねる : ヒトラーの演説ってわりとマジですごいよな

で、まあ、問題は巨大なハブは必ずどこかで倒れること。

変革は多様性が十分にある弱きもの、小さきもの、多数のものの中から生まれてくる。強いものは勝ち続けていくうちに生きて行くための利点な致命的な欠陥へと必ず変質して行く。

小さきもの、弱きものへの慈悲 - HPO:機密日誌