どう評価していいのか迷う本を読んでいる。タイトルは、どっかからやりが飛んできそうかな。
- 作者: 中川八洋
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2004/04
- メディア: 単行本
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バークについてはどっかで勉強したいと思っていたので読み始めた。たしかにwikipediaの解説と著者の中川八洋さんの論との平仄は合う。
文明社会が人間の知力で設計されたものでない以上、文明の政治経済社会に仮に、人間の知力や理性に基づく“設計”や“計画”が参入すれば、その破壊は不可避となり、個人の自由は圧搾され剥奪されると考えたのである。実際に、このバーク哲学の思惟と予見どおりに、フランス革命は、人間の理性を絶対視し、既存の教会制度を否定し「理性の神」を崇拝した結果、個人の生命をフル操業するギロチンに奪われ、財産を革命権力の恣意に奪われ、血塗られた無法地帯の阿鼻叫喚の巷をつくりだした。人間の知力や理性を文明の政治社会の改変に適用させてはならないとの、バークの哲理は真理であった。祖先の叡智を尊崇して保守したときのみ、個人の自由は高貴に燦然と耀き得るのである。
エドマンド・バーク - Wikipedia
逆を言えば、人間の理性を信じる、あるいはデモクラシーが有効に働くことを信じること自体がフランス革命流の思想に毒されているという論につながっていく。ほとんどの人はここでアレルギー反応を起こして、中川さんかバークかどちらかが根本から間違っているという結論に飛びつくのだろう。
ハミルトンのところを読んでいるのだが「資産」という問題が出てくる。バークの言う「自由」の前提とは、「資産」を持てる者同士がお互いの「資産」に手を出さない誓いを立てることだ。バークの生きた時代では、「資産」を認め合える人間同士しか仕事の上でも、社会的な交流の中でも、相手にされていなかったという。当時の英米では、プロレタリアというか、自分の身体しか資産を持たない人々に義務を求めることは「常識」外れであったのではないか?
すでにこう書いてしまうだけで、富裕層はだからだめなんだという論調にしか現代においてはなりえないのが、不思議と言えば不思議だ。「私は働いたことがありません」というセリフが当たり前に読めたころの感性でないと理解できないのかもしれない。というか、一体現代のデモクラットな社会の方が普遍的なのか、当時のリパブリカンな考えが永続しうるのか判断ができない。
特にデモクラシーは全体主義につながるというのは、すでに実例がある。ドラッカーの「経済人の終わり」もバークやハミルトンからヒントを得たと考えるとつながるように感じる。
- 作者: P.F.ドラッカー,Peter F. Drucker,上田惇生
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 1997/05
- メディア: 単行本
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そういう気持ちで合衆国憲法を読んでみるとそうかなぁという気になってしまう。
特徴
[編集] 主権の排除
米国憲法はその憲法制定過程で「法の支配」に基づく「立憲主義」を憲法原理としたため、「制限されない権力」の意である「主権」を排除した。日本国憲法の三大原則である「国民主権」を米国憲法が排除したのは憲法制定者はみな「デモクラシーの暴走」に警戒感を持つ保守主義者たちであったからである。米国憲法前文の「We, the people of the United States...」というくだりは国民主権を表すものではなく、各邦が憲法を制定したのではないという邦の主権の剥奪を表す言語表現にすぎない、という解釈をジョン・マーシャルの補佐官であったジョセフ・ストーリーが著している。
(中略)
なお、アメリカ合衆国憲法には、社会権規定がない。また、男女平等条項もない。
アメリカ合衆国憲法 - Wikipedia
- アメリカ合衆国憲法 @ アメリカ大使館
■追記 携帯から
この論文を読みたいな。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006279817/
あ、なんだ。常識なんだね。
エドマンド・バークの保守思想の影響があるとされる。
ピーター・ドラッカー - Wikipedia