ネットで私が何を言ってもリアルを変えられないことは4年も続けて実感する。希望を捨てたわけではないのだが、リアルでなすべきことを犠牲にしてまでネットでの言論に力を消耗すべきではない。
また、評価されることに中毒している共通一次世代の私が書くこと続けるためには公開されなければならない。だが、私個人にとって意味を持つことの多くはあまりに個人的で、あまりにプライベートな関係を含んでいて公開された場で書くべきでない。
他方、ネットで書き続けることから生まれたご縁で多くの気付きが与えられた。深く感謝しなければならない。いや、こころからありがたいと感じる。世の成り立ちが全く違って見えるようになった。この4年の間に経験したことは新たな認識なしでは乗り切れなかったかもしれない。
意識的、無意識的にウケを狙ってしまう自分もいる。いやまぁ、ネット上での修辞学とも言うべき技術にあまりに疎いいじぶんの言い訳だが、ウケを狙う時になにかが失われる気がしてならない。
ここでコメントをいただいた。
日本の場合は器(アーキテクチャー=ブログやネット放送などの仕組み)が用意されても、それを使いこなす土壌(ユーザーである私たち)がなかなか醸成されずに終わっているものがたくさんある
ネット上で書くことの矛盾 - HPO:機密日誌
理屈で言えば、憲法とか法律より以前の前提がどこかにあるようにも感じる。日本の民主主義は結局敗北主義なのだ。
くりかえすが、米軍の日本統治は日本を二度と再び立ち上がらせないためにおこなわれた。これは現在のイラクの統治を見ていても、米国が日本の官僚を利用したのと似た手を使っていることを見ていても理解できる。そもそも、このレポートは、イラク統治政策立案の参考にされたと聞いている。この意味では、確実に日本は負けたのだ。日本国民は、負け犬になりはてたのだ。
ぼくたちは本当に負け犬なのか?: HPO:個人的な意見 ココログ版
弾さんの記事にとても勇気付けられた。
だからこそ、Liberté(自由), Egalité(平等) の最後に Fraternité があったのだと思う。
Fraternité -- 博愛、これこそが、民主主義社会の目的なのではないか。
404 Blog Not Found:平等←博愛→自由
そう感じ、さらっといえてしまう弾さんに感動する。
結局それは勇気のようなものではないかと信じている。人って案外どこの国でも変わらない。ごくごくみんなフツーに生きている。生活に対する危機感というか、生きていけるかいけないかの部分でどれくらい真剣かにかかっているようにも感じる。
だからこれは自分自身に言うのだが、世界を変えようと思うなら、自分が行動するしかないのだ。敗北主義を自分自身が克服しなければ、先へは一歩も進めない。ネットに書くことに意味があるとすれば、自分で自分を変えられるかどうかという一点だ。
■追記
あ、そうそう、この映画の中の"Speak up America, speak up!"というせりふにとても感動した。
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