長息することに歌の起源がある。男女の想い、あはれとこころが動き、嘆息するしかない身心の状態。
古典との生きた関係を、自分の手で断ちながら、それに気附かぬという事もあるのである。
言語が、「おのがはらの内の物」になっているとは、どういう事か
(中略)
国語という巨きな原文の、巨きな意味構造が、私達の心を養って来たからであろう。
漫画であっても原文をきちんと入れた江川達也さんの志は高い。すきずきしわざになれしたしむ表現であっても「源氏物語」がいかに男女の趣き深いあはれを伝えて来たかが伝わって来た。確かにそれは表面つらのやりとりではなく、情をかさね、たしかに契ったものどうしのいきづかいが感じられる。調子を調え長く息をし、はらのうちから出てくるもののあとが見える。
この情でもあり、たくみわざでもあり、ことばなしらべでもあるところをこそ、いまの末の世の我々は汲み取るべきなのだ。
ことばは深い。そして、巨きい。
私達は、話しをするのが、特にむだ話をするのが好きなのである。
この小林秀雄のものいいのうちにイーガンの「ディアスポラ」の外宇宙のそのまた外への探究の結論と共通するものを私はどうしても見てしまう。
イーガンの経験、思考実験は、どこまで仮想化がすすんでも、ことばが日常に使われる限り生の現実、生の人生は失われないことを示しているのだと私は信じていた。最近少しこの考えがゆらいでいる。「源氏物語」でやみのなかでも感じられる互いの肉体がなければ生の生とはことばの上ですら結実しないのではないだろうか?ことばよりも性愛を含むなまの生が先立たねば、はらのうちにあるあたりまえの言語生活に辿り着けない。ことばを先に性愛をとらえるすべての活動は無意味であるばかりでなく有害だ。
私達の直接経験の世界に現れて来る物は、皆私達の喜怒哀楽の情に染められていて、其処には、無色のものが這入って来る余地などないであろう。
言玉の富(さきはふ)国とぞ
「興福寺の法師等が、仁明天皇に奉献した長歌はよく知られている」とある。
言語は、本質的に或る生きた一定の組織であり、この組織を信じ、組織の網の目と合体して生きる者にとっては、自由と制約との対立などないであろう。
いまのいままで和歌の本質とはその約束ことの多さとはらからでてくる「意」との対決が表現を逆に豊かにしていると信じてきた。いや、まだ納得しているとは言えない。
ああ、教養がないのは恥ずかしいことだ。自分で悲しくなる。「源氏物語」は古今より紀貫之より新しいのだね。もはやからごとの盛んな時期、万葉集から遠いときに成立したのだね。
ここに「ミネルバのふくろう」を見るのはさかしらなことだ。
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永くかかったがようやく上巻を読み終えた。実にすばらしい上下の切れ目だと私は感じた。本居宣長の墓の話に始まり、「源氏物語」を核にしてそのまなびのさまを書き記し、「しき嶋の やまとごゝを 人とはゞ 朝日にゝほふ 山ざくら花」という歌が紹介され、業平の「つひにゆく 道とはかねて 聞しかど きのふけふとは 思はざりしを」へと尋ね、「古事記伝」を書き終えた「古事の ふみをらよめば いにしへの てぶりことゝひ 聞見るごとし」でちょうど切れる。すばらしいとしかいいようがない。
しかし、ここまで来ても私のこころは手塚治虫に帰ってしまう。「天鈿女命」といえば火の鳥の「ウズメ」しかいない。
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倭建命と倭比売命のくだりは、「スーパーカブキ」を思い出してしまった。
■言葉は仲間外れをつくるためにある
だからこそ、私は日本国と日本語を「デカップル」しておきたいのだ。
404 Blog Not Found:日本語は誰のものか?
弾さんはすでに読みのことと思うけど、言葉が分化してくるにはそれなりに意義があった。というか、言葉はフリーライダーを排除して、グループとしてまとまるためにあった。
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