HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「やっぱり男はどう死ぬかよね」

ある女性に「やっぱり男はどう死ぬかよね」と言われた。finalventさんが書評をされた「その夜の終わりに」を読んでいるあいだ中、この言葉が思い出されてならなかった。

その夜の終りに

その夜の終りに

「その夜の終わり」という物語の時代、昭和40年代の始め、私が生まれた頃まで、日本人には生きることへのものがなしさがあった。そして、そのものがなしさは、女達のものだったと知った。

そのものがなしさは今も存在はしている。あっけらかんとしている平成の日本でも、ものがなしさはある。男にもある。それが、「男はどう死ぬかよね」に続いている。

ああ、そう。たとえば、このものがなしさは「29才のクリスマス」を観た時に感じたのかもしれない。あ、いや、もうこのドラマも10年以上前なんだな。もはや今とは言えない。

29歳のクリスマスは、1994年10月20日〜12月22日の22:00〜22:54(木曜劇場枠)にフジテレビ系列で放送された鎌田敏夫脚本のドラマ。

29歳のクリスマス - Wikipedia

鎌田敏夫の脚本だったんだ。あの最終回には泣かされた。

29歳のクリスマス (新潮文庫)

29歳のクリスマス (新潮文庫)

ちなみに、今回ようやくグーグルの検索方法がわかって「その瞬間」を見つけた。「子ども」の問題が人間の、いや、私自身にとって本質的問題なのか気がついた瞬間であった。「2004年7月2日」を忘れない。

今更無責任のそしりをうけることになるかもしれないが、前回の記事でかいた「子どもを産む」ということは、実は比喩だととっていただきたい、と今感じている。そして、ひとつだけ告白しておく。「攻殻機動隊」と「負け犬の遠吠え」を書いてはじめてなぜ自分が子をなすことに深い意味を感じていたかを初めて理解した。「十月十日」も「迷い」という種をかかえつづけたわではないが、これもひとつの出産だったのかもしれない。

ぼくたちは本当に負け犬なのか?: HPO:個人的な意見 ココログ版

ブログ書いててよかった、とつくづく思う。