HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

闘争、そして、太極へ

分裂さんのエントリーを読ませていただいて、正直感動している。

自分の欲望にとって都合の悪いものを痛めつけ、排除することは、子供だけでなく、大人にとっても快感であり、内なる正義である。

新しい時代の道徳はどのようにして生まれるのか - 分裂勘違い君劇場

もしかして私は分裂さんをとても勘違いしていたのかもしれない。分裂さんはかなり個人主義的で、理知一本の方だと思い込んでいた。かなり間口の広い方であり、抽象論になりがちな話をありありとイメージできる方なのだろう。

大変失礼いたしました。

こんなに文章力も想像力もない私が言うとあきれられてしまうが、私が昔書いたエントリーではぼやけてしまった焦点を、分裂さんは見事に結像させてくださっている。

個体と個体の単位時間あたりの距離が問題なのだ。離れた個体の間の移動手段と通信手段が問題なのだ。固体がどれだけの距離で別の個体と相互作用をもちうるかが問題なのだ。

距離、時間、そして統治と戦争: HPO:個人的な意見 ココログ版

私は↑のエントリーで、生物の歴史、そして文明の歴史の進展の中で、時間的距離の短縮というテクノロジーがそれぞれの時代の闘争と規律と調和をつくってきたのではないかと言いたかった。そして、ネットという時間距離をほぼ0にしてしまう道具が生まれたときにどうなるかという関心から、フランシス・フクヤマだの、べき乗則だの、自己組織化だのへの興味につながっていった。

いや、そんな自分の感想はどうでもいい。

人間が言語を習得し、文字を発明して記録を残せるようになるまで、多分意識化され、明文化された道徳なんて存在しなかったのだと思う。道徳を考える上で聖人と呼ばれる方たちと都市文明の勃興が重なるのは偶然ではないだろう。

人間の文明以前には、食べる、食べられるの関係しか個体の間で存在しなかった。そんな状態であっても、うすっぺらなヒューマニズムみたいなものではなく、分裂さんが主張されるような食べる=食べられるという闘争関係=パワーゲームの渦中であっても動的な調和の状態は存在したのだと、私も信じている。

そもそも捕食動物の発生がカンブリア紀の大爆発をおこしたのだという話もあるが、これは余談。

そして、いままた時間的距離、連絡のコストが0になりつつある現代にあって、今ここにある闘争=パワーゲームを、あさはかな人間の表面的な理性とヒューマニズムで制御するということは、多様性も失い、かなり大規模な自己組織化臨界現象社会学的な雪崩*1を起こすのではないだろうか?

多様性からべき分布的に突出した個体が生まれれれ、そのほか大勢の個体が絶滅することにより、不安定になり、また混沌が生まれていくといった、この辺の感覚が太極図にあらわされているような気がしてならない。

*2

結局、集中化とか文明の進展といっても、あたるも八卦あたらぬも八卦の世界であり、図と地ではないが、無用の用とも言うべきそれ以外の部分が実はとても大事なのではないだろうか。この意味で、分裂さんの「西暦2026年の日本」の予想図に深く同意する。

そして、大量の中小企業の倒産、商店街の崩壊、企業プロセスの透明化による本来的な意味でのリストラクチャリングによる大量失業により、一時的に街は失業者であふれた。ホームレスであふれた。

西暦2026年の日本 - 分裂勘違い君劇場

*1:サイバーカスケード現象ともいう。

*2:これ自分で描いてみたんだけど、大きな円を書いて、その中に直列する円をいくつか描いて、あとは色をぬるだけなんだね。これ自体がべき乗分布的かもしれないと思ってしまった。