ナウシカがつぶした「卵」の中には全体主義が入っていたのではないだろうか?
以前、記事を書いた「アップルシード」の中に出てくる人類を生き延びさせるための「人類適正化計画」の名前は「エルビス=パンドラの箱に残った空しい希望」という。一方で、ナウシカに代表されるような「青き衣の人」が人類には必要なのだという気がしてならない。限りなく「穢れ」を引き受ける人こそが人類には必要なのだと思う。全人類が「三皇子」のように知的な活動だけを行い、欲望とも陰謀ともかけはなれてしまえば、それはまた人類の滅亡、熱的な死を意味する。やはり、ナウシカのおしつぶした卵は決して孵ることのない卵だったのだ。
ナウシカ、ナウシカ、ナウシカ goddess of death?: HPO:個人的な意見 ココログ版
ナウシカと中川八洋さんというすごい組み合わせなのだけど、ドストエフスキーについての次の言葉は底でつながっている。
そして、この新しいユートピアが建設されるや人間はその故に完全なる人間、「善のみの人間」に改造されるものであると考える凶器、それが社会主義である。だからドストエフスキーは、社会主義とは「人間の死」をもたらすと考えた。
もっと暴論をはけば私の中では、それはファウストにつながる。
それは叡知の、最高の結論だが、
[書評] ファウスト、最期の科白: HPO:個人的な意見 ココログ版
「日々に自由と生活とを闘い取らねばならぬ者こそ、
自由と生活を享くるに値する」
そして、この土地ではそんな風に、危険に取り囲まれて、
子供も大人も老人も、まめやかに歳月を送り迎えるのだ。
ナウシカには高貴な自由がある。