HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

思想は伝播する

ようやく読み終わった。

保守主義の哲学―知の巨星たちは何を語ったか

保守主義の哲学―知の巨星たちは何を語ったか

ここまでこれまでの常識というか、当たり前だとあきらめていたことをくつがえしてくれた本は安冨歩本先生以来だ。

この問題意識に基づき考察され、シミュレーションが作られて得られた結果が、貨幣の生成と崩壊だ。

[書評]貨幣の複雑性 ecology of blogs: HPO:個人的な意見 ココログ版

「私の思考は人の思想の運動場だ」とという言葉があるが、私のように浅薄な人間は読む本や、日常接する方々にあっというまに影響を受けてしまう。「朱に交われば」といってもいいかもしれない。すくなくとも子どものころから教育の場面で受けてきた社会思想に関する「民主主義絶対」というドグマを相対化させるだけのインパクトを中川八洋さんの本は持っていた。

「民主主義絶対」の教育は私をフクヤマに至らせた。

フクヤマの叙述するヘーゲルは、人間の、そして歴史の最初を「認知を求める存在」だと規定する。認知を求める存在というのは、相手に自分を認めさせたいという欲求をもつ存在であるということだ。この認知を希求するこころ、気概というものは、人間が自分の所属する団体の名誉や人々をまとめあげる旗など、単純なものや物質に対する欲望の対象でないもののために、命をも捨てさせる力である。相手に自分を認めさせる、つながるこころである。ヘーゲルフクヤマによれば、相手に自分を認めさせるということのひとつの形は、相手を支配することだという。支配者と奴隷という関係が認知への欲求のひとつの結果なのだという。従って、人間の歴史は最初は命をかけた戦いに始ったなのだ。

始まりの戦いと歴史の終り: HPO:個人的な意見 ココログ版

ああ、なんて下手な文章なんだろう orz

フクヤマの言説は、これまで私が家庭環境の中で言葉でなく教えられてきた信条と「民主主義絶対」の教育の矛盾を発見させてくれた。

これまで、私は誰がどう見ても右派、ウヨクであった。もし、サヨクとカタカナでかかれる輩がいるとすれば、私はウヨクだ。もう、あんまり自分の暴露ばなしもいやなので、詳細は書かないがなるべくしてなったウヨクだと自己規定してきた。しかし、ここのところブログで書きまくり、東長崎機関の方たちのようなノリを知り、あるいは、先日の「アクセス向上会議」や「木村剛とブロガーのオフサイド取引」に参加されていた方たちのような、真に自由闊達で生き生きとした活動をしている姿を見るにつけ、なにかが自分の中で、社会の中で動いているのを感じている。もしかすると、私はウヨクから自己規定からおっこちてしまいそうだ、と感じている。

恒久平和: HPO:個人的な意見 ココログ版

ああ、なんて下手な文章なんだろう again... orz

民主主義は歴史の最終形態ではないかもしれないと今は思う。

安冨歩先生のシミュレーションの話でいえば、貨幣という人間にとって絶対的なものであっても生成し、消滅することが、貨幣の持つ「価値の交換」という役割の本質にすでに組み込まれている。同様にして、人間の歴史の中で生まれる「思想」というものも、生成し、消滅することを運命づけられているように私には思える。それは、思想というものが人間の本性というルールに基づく思考の体系(シミュレーション)であるからだ。

そして、自由主義の時代が20世紀以前に十分な期間にわたって存在し、そこで思想を結実させていたことを私は学ぶべきであるといつくづく感じた。フランス革命に先立つ100年と、合衆国の成立を含むその後の100年間の2世紀間の持つインパクトと、20世紀デモクラシー全般の中で形成され私との間の隔絶はいったい何なんだろうかと自問する。「法の支配」という現在生きている人間だけを「民」とした民主主義に先立つルールが社会にはあるだろうという中川さんが解説するバークの主張は思想としで強い伝播力を持っている。

安冨歩先生のシミュレーションとの対比で言えば、人が生きて社会を構成し、生きて行くための諸思想に先立つルールがあるということだ。人が生きて、人が学び、人が生産し、人が結婚し子をなし、人が置いていく中で、人と絆をもってリンクしていくことのルールはある。国という強制力によってはじめて人の自由が成立するのであれば、国そのものの成り立ちのルールを返ることはできない。それは、その国の民の過去から未来の子どもたちへと至る共有の財産(コモンズ)であるからだ。だからこそ、コモンセンスはコモンズなのだと私は主張したい。

まだどうも語るべき言葉に至っていない。いや、いつでも私は語るべき言葉に至れない。

今後の宿題として、私が課題としてきた部分に関わるところだけ抜書しておく。個人攻撃の意図はまったくない。

あの世界的な反響をよんだミーゼスの「社会主義経済計算不能論」(1929年、同年刊の「協同経済」に収録、英訳は1929年でそのタイトルは「社会主義」)は、日本では実質的にまったくよまれなかったといってよい。そればかりか、1937年には計画経済を導入したいばかりに、近衞文麿らは、その手段としての日中戦争(日支事変)を開始したのである。

参照:大東亜戦争とスターリンの謀略

戦前日本で自由市場経済を擁護したエコノミストは山本勝市(主著は「計画経済の根本問題」)ひとりぐらいしかいなかった。この「山本ひとり」という事実ほど、大内兵衞・有沢広巳・脇村義太郎・大塚久雄らの共産主義者ばかりに占領された、ミーゼスを排斥した戦前・戦後の日本の経済学界の本質がいかなるものであったかを明らかにしてくれるものはない。

そこまで言いますか、中川八洋さん、と私でも言いたくなるのだが、これから検証していくべきリストしてあえてあげる。

しばしば誤解されているが、地主階級つぶしが真の狙いであった戦後の「農地解放(1946年)」の推進は、占領軍の米国(GHQ)がしたのではなく、ごりごりのスターリン教徒であったマリキスト和田博雄(農林省農政局長)あが首謀者であった。米国農業は大地主生であり、農地所有の細分化などは、アメリカ人にはまったく発想できなかった。「農地解放」は、レーニン/スターリンが1921年頃から1930年代末までウクライナ等で執拗に実行した「富農(クラーク)追放」をまねたものであった。

参照:成功した革命としての2.26事件


■追記

こうした歴史の方向性を変えられてない結果がこうなるということか。

あ、気がつくといずれもgooブログなんだね。

ミーゼスについて書かれている講義録(?)を見つけた。

社会主義経済計算論争というのは、名前は知っていたが、それを学説史の中で分析するアプローチについては初めてだった。そこに歴史的要因(1920年〜30年代のソ連の隆盛、1970年〜80年代の崩壊過程)が大きく影響していることが深く感じられた。そしてその時代に主張された議論に対して、資本主義社会の中に社会主義思想を取り入れ、大きな政府とならざるを得ないという状況下にある現代の各国政府において、そしてその政策の一翼を担っている経済学者、強いては我々において重要な示唆となっているのではないかと思った。それは「貨幣」についても「所有」についても「市場」についても。そういう意味で、複雑系経済学へ移行するための1つの重要な論争、理論となるであろうと思われた。その過程で思想・哲学的な価値判断の問題が介入してくるような気がする。経済学が思ったより実質的(?)でかつ深層的であることを思い知った。そして基本課題はあまりにも哲学的で理想主義的であることを痛感した」

あ、んで、いま気がついたけど、「複雑系」アプローチでも安冨歩先生のおっしゃるとおり「社会主義経済計算」は「不能」であるということが正解なのではないだろうか?1世紀近く続いている論争に安冨歩先生は終止符を打ったということか?

■追記 その2

なんども同じ著者の本を読んでいるとその本のままの行動をし、そのままの運命を模倣してしまうものらしい。どうもこの模倣は思想の伝播に限らないようだ。とても不思議だ。