HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ドラッカーが書いてる!

下記へ転載。

先日、法律にはやっぱり期限が必要だろうということを書いた。その後、ドラッカーを読んでいたら...同じことを書いている!

新訳 経営者の条件 (ドラッカー選書)

あらゆる組織が、この二つの傾向に陥りやすい。しかもこの傾向は、特に政府機関に蔓延している。政府の計画や活動も、他の組織の計画や活動と同じように急速に古くなる。だが、政府機関においては、それらは永遠の存在とみなされるようになるばかりでなく、政省令によって構造化され、議会の族議員と結びついた既得権と化していく。
このことは1914年ごろまでのように、まだ政府が小さく、社会において重要な役割をはたしていなかったころには、あまり大きな危険もなかった。しかし今日の政府は、その能力や資源を昨日のために割く余裕はないはずである。
だが、アメリカの連邦政府の各種機関の少なくとも半分は、例えば、すでに30年前に規制の必要がなくなっている鉄道会社から国民を守るための活動を今日に至るも行っている州間通商委員会(ICC)のように、もはや規制する必要のないものを規制している。
あるいは、農業関係のプログラムの大部分がそうであるように、政治家の独善的投資、すなわち「成果をあげるべき」でありながら、成果をあげ得ない活動を行っている。
今日、政府のあらゆる機関、あらゆえう計画は、それらの成果や貢献についての第三者機関による徹底的な検討に基づいて、新たな立法措置がとられ延長される場合を除き、すべて臨時のものであり、一定の期間、例えば10年を経たのちには自動的に消滅させるという、成果本位の新たな行政原則が強く必要とされている。
1965年から66年にかけ、ジョンソン大統領は、政府関係のあらゆる機関と計画について、そのような行政原則の検討を指示した。彼は、マクナマラ長官が国防総省から陳腐化した非生産的な仕事を除くために開発したプログラム・レビューの手法を検討させた。これこそ、正しい方向に向かっての努力の第一歩であり、切実に必要とされているものである。
しかしそのような努力も、あらゆる計画は、その有用期間をすぎてしまっていることが証明されない限り永遠に存続してよいというような伝統的な考え方が残っていたのでは、成果をあげられない。
あらゆる計画は、急速にその有用性を失うものであり、したがって、生産的であり必要であることが証明されないかぎり、必ず廃棄されなければ名ならならないにという考え方こそ必要とされている。さもなければ、政府は、規則や規制や書式によって社会を窒息させつつ、自らの脂肪によって自らを窒息させてしまう。

強調文字を入れたのは、私だ。ちなみに、本書をドラッカーが書いたのは1966年、私の生まれた年だ。

要は私が大事に想う方が語ってくださったように、人の行動にはよい結果を直接求める行動と、良い原因を作る行動がある。どちらが長い目で見たときに、よりよい結果を多く生み出すだろうか?ただ、明らかに法律はよい原因を作る事柄について書いているのではなく、達成されるべきよい結果と起こってはならないはずの悪い結果と、それらへの対処についてしか書かれていないところが問題なのだと私は思う。よい原因を作るのは、政策の問題なのだが、政策の問題は実に簡単に利害の調整の問題に堕落する。法律は結果だけしか主張しないので、あっというまに虚になり、実態と合わなくなる。いや、その後の結果はドラッカー先生が米国の実例で書いていらっしゃる。

誠にこの世は棲みにくい。


■参照リンク
・一定期間後、廃止するサンセット方式を法制化し機能させよ by 上田惇生さん

・行政関与の在り方に関する基準 2-4 @ 行政改革委員会=kanemotoさん

「平成8年12月17日」と最初に書かれている。かなり昔から、日本でもこのことは言われてきたわけだ。では、なぜ実行されないのか?

サンセット方式は、個別施策においては既に導入されているが、必ずしも理由が明確にされないまま長期化しているものや、名称や形式を変えて長期にわたって存続しているものが多くみられる。これらについては、早急に見直しを行うとともに、実質的にサンセット方式が骨抜きにならないよう、経常的な監視が必要である。また、期限後に実質的な継続が行われないよう、サンセット方式に基づく施策は、実施期間中に行政関与が徐々に弱くなり、終了時点では関与がなくなっているような仕組みを検討すべきである。

ドラッカーが書いている! Peter Says: HPO:個人的な意見 ココログ版