HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ここんところやたら本を読んでいる

なんでだろ?そうひまだというわけでもないのだけれど...

市町村崩壊 破壊と再生のシナリオ

市町村崩壊 破壊と再生のシナリオ

うーん、確かに国債が破綻して、債券価格が上昇したために国家財政が破綻するというのは、ありうるシナリオかもしれない。また、破綻した日本の国が地方から再生するというもありうるかもしれない。でも、本書でとりあげられたような「シティー・マネージャー」制度程度で復活しうるものでは決してありえないだろう。

いま、改めて「平成維新」を読み直しているのだが、大前健一はあきらかに「ゼロ・ベース」の改革が必要であり、そこで肝心なのは教育の問題であると断言しているように思える。つまりは、いまの省庁ベースの思考に飼いならされている我々ではだめなのだ。一遍に全部を変えることが真剣に必要なのだろう。

少々批判的に書いてしまったが、市町村の会計が100兆円を超えていて中央政府の予算を超えているとか、地方の本来の税収30数兆円は、人件費の払いすらもカバーしていないとか、意外と思えるほどすでに地方自治というのが財政の面から破綻していることがよく理解できた。確かに指摘のあるように、すべての市町村にフルセットの官僚制をしくことは不必要極まりないことなのだろう。

また、外国の地方自治ではほんとんど市長も議員も無給の名誉職だとしてやっているということだ。真剣な議論はタウンミーティングのような形で行われているのだという。考えてみれば、そもそも日本の自治において、市の財産や、市政というものが、その住民の所有であるとはどこにも書いてないし、どこにも保証されていないのではないか?憲法にそんな項目あったっけ?そもそも、法律的にも、政治体制的にもいまの日本の自治は無理に無理を重ねているのだろう。だからこそ、法的な体系に支えられた中央官僚の方が融通無碍で、地方官僚というのは法律にしばられた存在で融通が利かないことの代名詞のようになっているのかもしれない。矛盾する話ではあるのだが。

そうそう、ちなみに「月刊現代」10月号の産業経済省の市町村別の予測というのはなかなか衝撃的だった。まあ、自分の市の名前がないことが非常に不可解ではあるのだが...