
- 作者: 網野善彦
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1996/01
- メディア: 単行本
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順番がいまいち正しいかわからないが、本書を技術革新、交通航行に関する進歩にともない形成されたネットワークの話だと受け取った。これらは統治機構としての政治の制御からぬけ落ちることにより栄え、過剰な制御により没落した。
いずれにせよ、現代の都市や交通手段のイメージを捨てて日本の中世と向き合うと全く違う世界が見えてくる。それは、現代の雛形というより、根底にいまも働く力のシミュレーションとしてとらえるべきなのだ。
文書の解読にはじまってみえてくる、壮大な歴史の「よみなおし」だ。
なんとなくこれまで日本の中世というのが前後と違う種類の歴史であるように感じてきた。なんというか、江戸時代以降の領主制というか、農本主義的というか、固定的な感じのする政権とは、鎌倉、足利の時代の色が違うと言う漠然とした思いがあった。
最も現実的な意味でのネットワークの基盤とは、インターネットの物理層がそうであるように、2点をつなぐルートの確保であろう。接続された2点の集合体としてネットワークを定義できる。ここで、物流や情報の流れをいかに安全に、いかに迅速に、いかにコストをかけずに移動させられるかがネットワーク上での流れ方を決める。また、ネットワークの性能、品質というのは、この観点から定義される。
本書で扱われた商業を形成するネットワークの物理層となるテクノロジーを同定したいとい誘惑にかられる。それは、多分大型の船を作るための技術の記録、伝承、技術者の集積、必要な資材の確保、資本の集積などかなり多岐にわたるものなのだと想像する。中世においてすでに日本の社会基盤は、日本列島の南北はもとより、海を越えた東西にも、物流、商流を生みだしうる程度に発達していたと考えると、ほんとうにものの見方は変わってくる。
逆に、江戸時代以降の農本主義的な歴史観では、多分鎌倉、室町はどこか反逆的な、どこか統一性にかける政権として記述せざるを得なかったのだと言うのも理解できる。
ああ、ただ筆者が指摘しているようにネットワークが発達すればするほど、絶対的な政権となりやすいという主張は、ネットワークの週中させるという性質と合わせて考えるときとても示唆するものがある。やはり、ネットワークはハブを産むのだ。