HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

現状公案

昨日、お祝いの会について書いてからどうも違和感があった。それは自分がなにを感じたか、なにを決意をしたかを書かなかったからだと感じた。

昨日の会に参加されたfinlaventさんに会われたかもしれない方も、会われなかったかもしれない方も、104歳の老師も、finalventさんも、みんなおっしゃることがあまりに同じだ。ほんとうに「あるんだよ、簡単なんだよ」とおっしゃったことが当然に思えてくる。同じ形を示されるのも、いきなり卒論の話がでるのも、奇跡のような出会いをするのも、この方たちにとってはあまりにあたりまえすぎることなのだと感じた。

私にとって現状公案は、ただただ行動しなさい、ただただ修行しなさい、と言っているように感じる。それが、修証ということなのだろうか?