HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「自心自性は常住なるかとあやまる」

ずっと、道元さんはなんと厳しいことをおっしゃるのかと想っていた。今回、はじめてこれは道元さんのやさしさなのだと気づいた。

ま、「気づいた」なんて表現をする時点で私の禅は野狐禅だと告白している。

自らの心、自らの性、誰もが変えられないと想っているから苦しむ。「性」なんて「男性」、「女性」とか、「性格」とか変えられないものに使われていることでも、みんながどう受け止めているか明白だ。

心も、性も、そんなものもとからあるものじゃないと想えば、なにも悩む必要がない。あるのは、修行だけ。日々日々、ただただ修行だけしかない。変えられない、行動できない、こんなことがあった、あんなことがあったと、悩む自分自身が「常住」ではないのだから、悩むことなどなにもない。自分自身の側に一片の真理も、なにもないとただただ坐るだけだ。自分が苦しいと感じるのは、修行がまだ足りないだけだと。

これこそが道元さんの厳しさではなく、やさしさなのだと。