HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

グーグル広告という大人のおもちゃ

ある事業の立ち上げが今月にあり、初めて自分でグーグル広告なるものに本格的に手を出した。いまはタイトルが変わってしまったが数ヶ月前に「グーグル広告Express」というアプリで触っていたのが大きかった。

Google 広告

Google 広告

本も読み始めた。なかなかわかりやすい。ウェブ広告の本とか案外すくないのはウェブ上の情報でほとんと用が足りてしまうからだろうか?

事業自体が順調であることがもちろん前提だが、広告の効果が目に見えて伸びていっているのでついつい時間を使ってしまう。まるでマスターベーションを覚えた猿のように時間さえあれば、アナリティクスで成果をチェックし、検索キーワードを学習して、グーグル広告のキーワードを編集したり、特定ページ専門の広告をいくつも作ったりしている。これは本当に高価な大人のおもちゃ。本来、広告にお金と時間を使うより事業自体の改善にリソースを注ぎ込むべきなのだが、あまりに「触りやすい」ので時間さえあれば広告出している。もちろん上限予算は自分に課している。

10年、15年前にもAdWords広告にチャレンジした記憶があるのだが、入札価格を徹底的に自分で制御するしかなくとてつもなく高いビッグワードしかつかめず費用対効果が感じられなかった。現代は、自分の入れた価格のすぐ下のランクの広告+1円という方式になっていてとても費用対効果が感じられる。

また、地域の指定も大きい。ビッグワードをいれていても、指定した地域に関心を持っている対象の方々だけの「入札」となっているようだ。

あくまでリアルの手応えを失わない程度にもう少し勉強していきたい。

「日の下には新しいものはない」

子供に「伝道の書」の話をした。日の下に新たなものはなにもない。最新の技術ですら開発されて、普及されるためには、過去のものとのアナロジーがなければならないことから、「伝道の書」にまだ話しが及んだ。

先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。

伝道の書(口語訳) - Wikisource

何度読んでも、「伝道の書」は智慧に満ちている。人が一生を送るための智慧がここにある。まさにここに書いてあるとおり、愚者である私には、智慧ある人の言葉に耳を傾け、少しでも智慧ある道を歩めるように努力する他はない。

いつぞや、id:finalventさんが「伝道の書」には、人に与えられた喜びはセックスだけだと書いてあるとおっしゃっていたように記憶する。それはきっと本当だ。そして、またこの句も本当だ。

わたしは、その心が、わなと網のような女、その手が、かせのような女は、死よりも苦い者であることを見いだした。神を喜ばす者は彼女からのがれる。しかし罪びとは彼女に捕えられる。

愚者であり、罪びとである私はよくよくこの書の智慧を学ばなければならない。

我以外皆我師

割と大きなイベントの名ばかりの担当者を無事果たした。心地よい疲労感。改めて思うのは、なにをやっても勉強。生涯活動をし続け、学びつづけることが大事。吉川英治の「我以外皆我師」という言葉は本当。

wp1.fuchu.jp

仕事だけでなく、幅広く活動し、多くの人と出会うことが学びなのだと実感。ある知人が晩年に「人との絆こそが人生の幸せ」だと言っていた。

ハーヴァード大学が戦前から行ってる八百人近くの人々の七十五年に渡る人生の継続的研究の話だ。もう研究対象者の多くは亡くなっていたり、九十代に達しているという。詳しくはぜひこのTEDを見て欲しい。継続的研究が明らかにしたのは、「よき人間関係こそがよき人生を生む」ということだと。逆に、孤独な人生は幸福感も、健康をも蝕むと。

人生百年時代に必要なこと - HPO機密日誌

仕事以外でも多くのことに関わろうとすればするほど、労力もかかるし、いらない気苦労もする。それでも、出会う人すべてが自分の「師」なのだと学び続ける姿勢、人とのご縁を大切にする生き方を目指したい。

「見上げてみれば鷲頭山、みおろせばしげ鹿浜のつり舟」

白隠禅師のお言葉と絵にはいつも教えられる。この讃の言葉は私にとって仏教の本質を示しているように思える。

この絵は、遠景に鷲図山を、近景に船で漁をする人々を描いている。恐らく沼津の海であろう。山の頂上付近には巨大な鷲がとまっていて、漁をする人々を見下ろしている。鷲は釈迦の分身で、衆生の教化にいそしんでいるようにも見える。

鷲頭山図:白隠の禅画

衆生からすれば、そびえ立つ鷲図山は偉大でとても近づけない。各所には難所がまちうけているように思える。しかし、実際に幾人もの人達が難所を超えて山に登り、私達を見守ってくれている。私には想像することすら恐れ多いが、登った方々から見ても浜の雄大な情景、そしてそこで勤しむ人々は美しく映るに違いない。ここに仏教の境地があるように私には思えてならない。日々生きることこそが命の力をいただいている尊い時であり、ここにこそ鷲図山、鹿浜が広がっている。一日一日を大切に生きていきたい。

本当に何度読んでも白隠禅師の言葉とお示しいただいた絵は深い。

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先週は、私にとって数年来準備してきたことにひとつの句読点を打つ日々であった。ここから先の目標はいままでとは違い、後継となる方々にいかに成長していただける環境を作るかになっていくだろう。まさに讃の言葉を眺めていらっしゃる七福神のお気持ちを慮らなければならない。

国際都市大阪

久しぶりの大阪だった。昨晩の道頓堀周辺といい、大阪城あたりといい、ここはどこ?と言いたくなるほど各国の言語が飛び交い、日本人の方が少ない感じがする。





どなたかが大阪はやるべきことをきちんとやっている、発展しているとおっしゃっていたが、実感した。また、東京と比べて建物が実にユニーク。





大阪維新の会が大阪で信任が厚いのもわかる気がする。自民党がなぜ維新の会にアレルギー反応を示しているのか、私にはわからない。

「空海百話」を買った

実は自分の家は代々真言宗。各代信仰は厚い。とは言え、今回初めて高野山を訪れた。寄ったお数珠屋で団体様用昼食処で「空海百話」という本を買った。

信仰は厚いと言いながら、あまり弘法大師空海さんと正面から向き合って学んだ記憶がない。この本を通じて、弘法大師の人なりと教えを学べたら良いなと。

ちなみに、駐車場におりて「生かせ命」の看板が。これは私の地元の真言宗のお寺でも以前はそのままの標語で掲示されていた。真言宗の大切なメッセージだと私は思っている。

www.koyasan.or.jp

八咫烏の三本足

和歌山の南紀白浜を訪れた。気候もよく、素晴らしいところだった。



途中、バスガイドが熊野古道の来歴に触れ、「八咫烏の三本足は、古来智慧と勇気と情愛の象徴とされてきました」とおっしゃった。まさに、人間としての基本が八咫烏の三本足として伝承されているのだと思った。日本の建国に智慧と勇気と情愛があってできたのだと、古事記を読んでいても実感する。生身の人間としての苦悩の中にこそ、インテグリティ、真摯さがあると。

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