HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

トランプ大統領 = 皇帝ネロ

トランプ大統領のやりたい放題の言動を理解するには、皇帝ネロとの比較が有効ではないだろうか?カエサルにより長く続いた共和制によるローマの内乱が鎮まり、帝政が安定期を迎えていく時期にネロは皇帝となった。名家に生まれ、若い頃からセネカなどの教師に就き、血筋だけで皇帝となった。先帝のカリギュラが示したように、ローマ帝国を支える軍人達、官僚群たちが有効に機能してさえいれば、皇帝はなにをやっても国は治まった時代。

幼い頃に先帝から民の心が離れていくのを見ていたネロは、奇矯な行動をしていてもどこかで民に好かれる人気取りをしていたと塩野七生は書いていた。実際、近親者や、軍人達はともかく、ネロは晩年までローマ市民からは好かれていたという。キリスト教を迫害したために、そして、ローマの大火を仕掛けたがために、暴帝として悪評があまりに高い。ネロ帝のあたりの「ローマ人の物語」を再読したいものだ。

ネロの政策は光と影がある。ローマの大火後にネロが陣頭指揮した被災者の救済やそのための迅速な政策実行、ローマ市の再建は市民に受けがよかった。ネロに批判的だったタキトゥスも、「人間の知恵の限りをつくした有効な施策であった」と記している。当時のローマ市内は木造建築がメインだったが、大火以降にネロが建築したドムス・アウレア(黄金宮殿)は、ローマン・コンクリートの普及に一役買っている。また、ネロがローマの大火以降行った貨幣改鋳は、その後150年間も受け継がれた。ただし、この大火もネロ自身が裏で暗躍し、自分好みの街を作りたかったという望みから起こされたとも言われている。更に当時の文献がローマ博物館に寄贈されている。

ネロ - Wikipedia


他方、ドナルド・トランプ氏。裕福な家庭に生まれ、ウォートン・ビジネススクール卒という恵まれた背景を生かし、若い頃から不動産開発に頭角を現してきた。なぜいま大統領かという内心の動機はともかく、わがまま放題を言っても国は治まるだろうという前提で就任した。前述のネロの帝位は、「俺はアメリカ大統領だ、俺はおれの好きなようにやる。そして、俺の言動こそがアメリカ市民の人気を集める」と考えているに違いないトランプ大統領に極めて近いと私は考える。

ガーディアンズ誌に、まさにトランプ大統領とローマ皇帝を比較する記事が掲載されていた。結論の部分だけを引用する。この前に、それぞれの皇帝とトランプ大統領を比較している。

You get the picture, or pictures. The Romans did not see tyranny as a single fixed set of symptoms. Tiberiua, Caligula, Nero, Commodus and the many freakish rulers thrown up by later Roman history are all different, all singular. When we look at Trump, when we try to get the measure of the world’s most powerful man, we could compare him with these odd and extremely dangerous characters. You don’t have to be a Hitler to threaten democracy and peace, a look at Roman art and history reveals: a Caligula or Commodus is equally scary.


こういう見方がある、いや、一つではないいくつかの見方だ。ローマ人は専制政治を一つの固定された症候群としては見ていなかった。ティベリウス、カリグラ、ネロ、コモドス、そして後のローマの歴史において輩出された多くの奇怪な支配者達は、それぞれみんな異なっている。それぞれが独特のスタイルだ。私たちがトランプを見るとき、世界で最も強力な男がなにを基準としているかを理解しようとするとき、トランプ大統領をこれらの奇妙で極端に危険な皇帝達と比較することができる。民主主義と平和を脅かすのは、ヒトラーだけではない。ローマの芸術と歴史がなにを明らかにしているか?カリギュラも、コモドスも、ヒットラーと同じように恐ろしい。

To understand Trump, we should look to the tyrants of ancient Rome | Art and design | The Guardian

ヒットラーは、若い頃は、画家を志し、貧困で苦労したという。ワイマール憲法第一次世界大戦後のインフレの中での、合理性への期待、人々の失望を糧にナチス国家社会主義党を作った。人々の失望を食らって総統にまで上り詰めた。このプロセスに対するドラッカーの分析はとても重要。トランプ大統領、英国EU離脱の時代に読み直されるべきかもしれない。ともあれ、トランプ大統領と比べるのは、自力で政党を作り、一時とは言えばローマオリンピックに代表されるような、一時とは言え第三帝国ローマ帝国の末裔と胸を張れる成果をあげたヒットラーに対して失礼ではないだろうか?

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演繹と帰納、あるいは人工知能はヒューマンエラーの夢を見れるか?

先日、自分の昔の研究室に行って先生、先輩や、後輩達と親しく語らう機会があった。認知心理学の関係の研究室であったので、自然話は人工知能関連に。関連する研究をされている先生によると自動運転ひとつとっても、どれだけ人工知能がうまく運転できても許可されない恐れがあると。それは、見た目人間にはできないほどの運転を人工知能が見せたとしても、それが人間と同じ動機や、仕組みで動いているかは保証できないからだと。運転のうまさ、囲碁の新戦略などパフォーマンスの高さは、すでに人間にはまねできないレベルに行ってしまっているが、同時にミスを犯す場合も人間には予測できないということになる。従って、人工知能研究に、認知心理学サイドから提言できることは、人間らしいエラーとはなにかを明示し、人工知能もエラーをするなら「人間らしい」エラーを犯すように学習や、知能の構造化を促すことなのだと。

また、現在の人工知能は基本的にニューラルネットワークの発展型であるので、何がどのように学習されているのかは、人間にはわからない。Google社のAlpha GOが人間の棋士を打ち負かしたとは言え、Alpha GOの知能ネットワークのどこにその知見が蓄積されているのか分析できていない。人間、いや生物の自然なニューラルネットワークすら、完全には知能のサイドから分析できているわけではないので、当たり前ではあるのだが、これもまたブラックボックスのままとなってしまう。

逆に言えば、人工知能の実現を通して、初めて西欧科学は帰納的手法を定式化できたのだとも言える。論理学、数学に代表されるように、すくなくともツール、手法としては演繹しか科学は仕組みを持っていなかった。人工知能、ネットワークのシミュレーションとは学習という帰納による発見の瞬間を人工的に生み出すことができたのだと胸をはれる成果ではある。ただ、この発見の瞬間になにが起こっているのかは、誰にもわかっていないとは言っておこう。

予測としては、人工知能ニューラルネットワークにおいてもいずれかの分析によりネットワークのべき分布が確認されるのだと私は想う。知能の本質、生物の本質はネットワークであるのだから。

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更に言えば、自己組織化現象、ネットワークにおけるカオス的ふるまい、ゆらぎが観測されるのだと私は想う。人と人工知能が限りなく近づいて行くには、まだまだ超えなければいけないハードルがある。

「小さいおうち」を読んでいる

少し前から「小さいおうち」を読んでいる。映画公開の時は、よくある山田洋次ヒューマニズムなホームドラマかなと思い見る気になれなかった。それでも、予告編の松たか子の「奥様」役は大変印象に残っていた。読み始めてみても、松たか子に「重ね読み」してしまっている。

小さいおうち (文春文庫)

小さいおうち (文春文庫)

物語は「女中」の「タキさん」が語る戦前から始まる。タキさんは、「この世界の片隅に」のすずさんと年齢がかさなるはず。今読んでいるのは、昭和15年の紀元節を祝ったあたり。当時がいかに平和で、いかに普通の日常がおくられていたかが、当時のさまざまな風物とともにたんたんと語られる。ブリキのおもちゃや、画集、漫画、奉祝曲コンサート、展覧会などが触れられる。大城のぼるの「火星探検」、ぜひ読んでみたい。

大城のぼる

大城 のぼる

アメリカを除く5ヶ国から以下の作曲家に依頼され、曲が提供された。

皇紀2600年奉祝曲 - Wikipedia

―戦時中の庶民の生活や心情がリアルに表現されていると評判ですが、当時のことはどのように調べたのでしょうか?

具体的に書くためにその頃流行ったものや生の声を知りたくて、新聞、雑誌、日記、回想録などを読みました。永井荷風の『断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)』など作家の日記からは、当時の人たちが何をして何を考えていたかがわかります。
受験雑誌『蛍雪時代』の当時の号で「『撃ちてしやまむ』の品詞分解をお願いします」「『撃ちてしやまむ』は英語ではなんと言いますか?」といった投書を見つけた時にはちょっと笑っちゃうとともに驚きましたね。『撃ちてしやまむ』とは開戦当初の標語なんです。
また、女中がどの家にもいたので、雑誌に「我が家の女中自慢」というコラムがあったんですよ。「宅の女中は、女学校を出ていて息子に勉強を教えてくれます」「料理が上手です」といった奥様の投書が毎月掲載されているんです。いい女中のコツを見つけると「これはタキちゃんにやらせよう」と拾い集めました。八百屋の紙袋を風呂の焚き付けにせずにきれいにたたんで返すと、いい女中だと思われて野菜を多く持ってきてくれるとかね。

Tokyo Art Navigation

この紀元節の後、「奥様」である「時子」の恋愛に入っていくのだろうと予感させるくだりもある。

本書と、「戦争まで」、「この世界の片隅に」を重ね合わせると、なにか太平洋戦争突入までが国のレベル、庶民のレベル、帝都と地方と立体的にかつカラーに感じられる。

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コンチクショー!

毎月定例の朝のお参りに行って来た。ふと六道輪廻のことを考え始めた。「畜生道」とは、「畜生」の道。「畜生」の「蓄」は「蓄積」の「蓄」。「生」は「生き物」の「生」。英語にすると、「stock of lives」つまりは、"livestock"、家畜となる。家畜とは、極端に言えば食べるために生かされているにすぎない生き物。自分の生殺与奪の権利などない。畜生道とは奴隷状態だということか。

畜生道
畜生道は牛馬など畜生の世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、使役されなされるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。他から畜養(蓄養)されるもの、すなわち畜生である。

六道 - Wikipedia

「コンチクショー!」とは、「この畜生めが!」のなまった言葉。ということは、人や自分自身を罵るのは、人と自分が奴隷のようになすがままの存在であり、そのなすがままの「命令」にすら従えない低能力であることを罵るのに使われる言葉ということになる。誰もが奴隷ではいたくないので、精進をし続けようということの裏返しとなる。日々日々精進していくのみだと。

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戦争しないと憲法は書き変えられない?

「戦争まで」の内容を反芻している。平和な日本では憲法は改正できないのかと。

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加藤陽子先生の「戦争まで」に取り上げられていたこのルソーの言葉の逆を取れば、「戦争くらいしないと一国の憲法を書き換えることはできない」ということにる。実際、憲法の成立と戦争は深く関わっている。近代憲法の代表であるフランス憲法は、フランス革命、ナポレオンに始まると私は想っている。フランスでは、絶対王制であった国家を民主主義、共和制に転換するためにあまりに多くの血が流された。それだけでは足りず、ヨーロッパ中を相手にフランスは戦った。

もっと憲法成立の源流をたどれれば英国憲法も在り方は違えど、戦争とは深くからんでいる。マグナカルタ権利の章典と戦争の後、もしくは大きな内乱(Civil War)の後に制定されたと言っていい。日本の明治憲法も、明治維新という内乱を経ることによって初めて成立しえた。いずれも、国民皆兵こそが戦争につよい国の基本であり、そのためには自分の国は自分で守るという意思を保証するために国民の権利が憲法により定められた。内乱を起こさないための約束ごととして憲法が定められた。基本的人権など、自分達が国を守ることによって、見返りに国から保証されているにすぎない。この国と人権との表裏一体の関係はローマ帝国の歴史を見ればあきらかだ。ローマの場合にすごいのは、共和制の時代に領土を拡大し、帝政になってから占領されてしまった土地の民をもローマ市民に組み込んでいったという、人権の拡大の話しなのだが、今回の話しとははずれる。まあ、でも、ローマ法という法の支配があればこそ、ローマ帝国軍は強かったとは言っておきたい。

加藤陽子先生のお話にもどる。長いが引用させていただく。

 戦争のもたらす、いま一つの根源的な作用という問題は、フランスの思想家・ルソーが考え抜いた問題でした。ルソーのこの論文は日本語訳がなかったこともあって、私はつい最近まで知らなかったのです。東大法学部の長谷部恭男先生という憲法学者の本『憲法とは何か (岩波新書)』を読んで、まさに目から鱗が落ちるというほどの驚きと面白さを味わいました。長谷部先生は、この本のなかで、ルソーの「戦争および戦争状態論」という論文に注目して、こういっています。

戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃、という形をとるのだ

と。

 太平洋戦争の後、アメリカが日本に対して間接統治というかたちで占領する。われわれ日本人は、アメリカによる占領を、「そうか、アメリカは民主主義の先生として、日本にデモクラシーを教えてやる、といった考え方に立ってやって来たのだな」、というようなアメリカ固有の問題として理解してきました。けれども、ルソー先生は、こうした戦争後のアメリカのふるまいを、18世紀に早くもお見通しであったのでした。

 ルソーは、彼が生きていた18世紀までの戦争の経験しかないはずですから、19世紀に起きた南北戦争普仏戦争も、20世紀に起きた第一次世界大戦も、本来、予測不可能だったはずです。けれども、非常に面白いことに、ルソーの述べた問題の根幹は、19世紀の戦争、20世紀の戦争、ました現代の戦争にもぴったり当てはまります。このようなすぐれた洞察を残せたからこそ、今の世にも名を残す哲学者であるわけですが。

the plum: 憲法を書き換えた戦争 [日本とアメリカ]

この意味で言えば、戦後の体制の中で育ってきた大多数の現在の、戦争を経験していない国民では国家原理を定める憲法を根本的に書き換えることはできないと。逆に言えば、加藤陽子先生の日米交渉の分析を読むと、「ああ、この程度の思惑で戦争に突入したのか」とあきれてしまうほどなのだが、それでも戦後に生きる私達としては太平洋戦争を、「欽定憲法を持ち、遅れてきた帝国主義の日本」を「民主主義で平和、領土拡張を求めない日本」に書き換えるためには必要な戦いであったと位置づけるしかない。それしか、「この世界の片隅に」のすずさんの慟哭を受け止めることはできない。

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ということで、戦う決意のない現在の日本人には、憲法のマイナーチェンジ、あまりに恥ずかしい間違いを訂正する程度しか、未来永劫できないのだと諦念してしまった。

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Force Arena: スローン大提督の戦い方

まだ、「スター・ウォーズ:フォースアリーナ」にはまっている。関連の動画を見て、指でユニットをスワイプして配置できることを知り、敵を左右に攪乱する戦法をとるようになったら、勝てるようになってきた。この戦法は足の速いルークに向いている。たしか、5連勝くらいは達成し、ランク3・デュラスティール、最高ポイント577まできた。いやいや、こうなるとますますはまってしまう。

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しかし、反乱軍側だけではミッションがなかなか達成できない。ミッションを達成できないと、「レジェンド」、リーダーユニットを増やせない。帝国側でも勝利をおさめられるようにならないと、先へ進めないと悩んでいる。足の遅いダースヴェイダーではAT-STをぶちこんですら、敵方のルークはおろかレイアや、ランドにすら勝てない。ギルドのお仲間によると、スローン大提督がよいという。スローン大提督の戦い方のこつは、デッキのエネルギーレベルの低いユニットで連続投入だと。その意味がなかなかわからなかった。で、動画を探した。

この動画は、スローン大提督の基本性能などの説明。生きている時間がながくなると、50%まで攻撃力が高まるなんて基本的なことを再認識した。ついでに勝手にストームトュルーパーも召喚してくれることも知った。

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スローン大提督の戦い方の動画。この方の戦い方は、とても参考になった。

www.youtube.com

この二つを見て、いくつか気がついたことをまとめる。

  • 集中攻撃に徹するために、できるだけ「人」ユニットに徹し、短時間で大量に配置でき、スキルを生かせるデッキにする。
  • 初期段階でわざとリーダーより後ろにユニットを配置する。こうすると、リーダーが前進していく間にエネルギーが回復してユニットを複数リーダーユニットの周りに配置できる。
  • 同じテクニックで、自分が攻めていくのと反対側の「タワー」、ターレットの後ろにユニットをおいておくと防衛にもつながる。
  • 防衛を多少犠牲にしても、攻撃にユニットを集中させて、周囲のユニットの攻撃力、スピードを増すスローン大提督のスキルを発揮する。二番目の動画にあるような集中攻撃により、ターレットを相当の確率で落とせる。

集中攻撃をすると、当然敵方のリーダーユニットも対抗してくる。その隙に、「後ろ配置」テクニックを使ってエネルギーをためておいて、反対側ルートでAT-STを反対側から投入するのがとてもグッド。ルークにも勝てた。必勝というわけではないが、ヴェイダー卿に頼らなくても勝てる可能性がでてきた。


■追記

同じ内容をForce Arenaコミュニティ、「敵の攻撃に備えよ! 」という戦略を公開するスレに載せた。

www.mobirum.com

漫画版「夕凪の街 桜の国」

「この世界の」に持ったのとは反対で、これは漫画版の方にカラーを感じた。

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

漫画版の方が言葉もやさしさが感じられ、いろいろ疑問な点が解消されている。それより、なにより、「カラー」があふれているように想う。なんなのだろう、この色達は。カラーページは何枚でもないのに、白黒のページまでカラーが見える。錯視なのか、思い込みなのか。

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広島出身の友達にもこれはぜひ読んでもらいたい。