HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

(仮題)悲しきフーガ

昨日、ハラリ氏の「Homo Deus」とSF小説について書いた。スーパーAIが支配する世界がどのような形になるのか、ハラリ氏の「無用な大量の人々」の未来ではなく、すべての人が適切な職業に就ける未来はないかという対比で触れた。この「SF小説」とは私の中でいつのまにかカート・ヴァネガット・ジュニアの「プレイヤー・ピアノ」だと思い込んでいた。Amazon、Wikipdiaで調べて見ると、どうも私の記憶と違う。別の作品らしいと。しかし、探してみたがどうにも出てこない。もうすでに短編集の中の一つであったか、SFマガジンで読んだのかも思い出せない。私が幸せなSF少年だった1980年代の作品だと思う。いまも鮮明に覚えている。それは、こんな物語だった。

誰もが生まれたときから、どのような才能に恵まれ、なにを職業にすべきか自分の特性からも性格からも完璧に分類される未来の時代。人々はとても幸せに暮らしていた。ある時、一人の少年が生まれた。物心つく前から音楽の才能を見出され、ありとあらゆる音楽から隔離され、森の中の一軒家で暮らすことになった。この音楽も、譜面もなくとも、この家には万能の演奏機が備えられていた。音楽の天才だと言われたこの少年はいつしか自分でこの演奏機をマスターし、自分自身の音楽を作り、演奏し始めた。

少年が演奏するたびに、人が集まってくる。音楽を聴くことが最高の幸せであり、才能を一番発揮できる人たちだ。人々はこの少年の才能を褒め称えた。しかし、この少年の音楽のオリジナリティを「汚染」しないために、この人々と少年の接触は禁じられていた。インスピレーションを得るために散歩している少年に、この禁をやぶった聴衆の一人が少年に音楽を渡した。「君にどうしてもバッハのフーガを聞いてほしい。君の音楽の中にはバッハを超える才能がある。」と。

少年は、バッハのフーガに魅入られた。自分が見出しえない音楽の体型としての調和をそこに見た。体制側に気づかれてはならないので、フーガ形式以外でバッハを聞いたインスピレーションから曲をたくさん書いて演奏した。そんなある日、めくらと片足と唖の三人組の男が少年の家を訪れる。

「君はバッハの曲を聞いたね。『聴衆』の中の一人からもらったのだろう。もうその『聴衆』も『処理』した。君の曲からフーガ形式の曲がなくなったのですぐにわかった。しかも、ソナタや、他の形式のいたるところにバッハの調和がこだましている。君は、もう『作曲者』ではいられなくなる。君はもう二度と曲を演奏することはできない。」

そういうと、三人組の男は奇妙な装置を取り出した。

「ここに指入れなさい。痛くはないから。」

少年は抵抗しようとしたが、押さえつけられ装置に指を入れられた。音もなくレーザーで少年の両手の指は切り落とされてしまった。


場面は変わり、道路工事の現場での作業員達が働いている。完璧な社会なので、道路工事の作業員であることに彼らは誇りを持っている。腕っぷしも強い。延々と伸びる大陸を横断する道路を作っているので、移動式の宿舎に彼らは住んでいる。夜になると、焚き火を囲みながら、酒を酌み交わすのが彼らの楽しみだった。威勢もよく、自分の仕事に誇りを持っている彼らだったので、お互いに仲もよく、話しははずむ。そんな中で、一人だけじっと押し黙っている男がいた。

「よお、若いの!そんな隅っこにいないでこっちへ来いよ。そうだ、なにか歌でもうたえよ」

声をかけられた男は迷惑そうであったが、あまりに何度も強要されるので歌をうたった。それは道路作業者達の、いや世界の誰も聞いたことがない歌だった。みな聞き惚れてしまった。歌う男はすっかり作業員達の人気者になってしまった。

そんなある日、男たちの酒盛りに、めくらと片足と唖の三人の男が現れた。

「君はまた約束を破ったね。もうここで働くことはできない。」

作業員達は、歌う男をかばった。

「こいつはいいやつなんだ。なんで歌をうたっただけで、ここから出ていかなきゃならないんだ!」

めくらの男が答えた。

「この世界において人は誰も一番自分にあった仕事をすることができる。誰もが満足しているすばらしい社会だ。しかし、彼の歌には反体制の響きがある。君らも、彼の歌を聞いて、もの悲しい、すべてが虚しいような想いを持たなかったかね?」

そう言われた答えられる男は一人もいなかった。みんな誰もが自分の仕事が大好きだったし、確かに歌う男の歌にはなにか悲しさが含まれていたことを否定できなかったからだ。今度は、歌う男の声帯が切り取られてしまった。


この後、本来の物語ではもうひとつのエピソードが語られる。しかし、私には思い出せない。もうひとつの仕事でも音楽を忘れられなかった男は、とうとう目もくり抜かれしまった。3つの職業のいずれもまっとうすることができなかった元の『作曲家』はめくらと片足と唖の三人組に聴く。指も声も視力もない彼がどう質問できたのかも思い出せない。

『どの職業についても音楽をわすられなかった私はどうなるのですか?」

めくらが答える。

「君にはうってつけの仕事がある。」

それから、十年後、完璧な社会をゆるがす人物のもとに、めくらで唖で指のない男が盲導犬とともにあらわれることが伝説として語られるようになった。史上最も徹底した社会の不適合を狩り出す男だと言われた。

どなたか、この物語をご存知の方がいらしたら教え欲しい。